べっぴんさん 野上正蔵の実在モデル 尾上設蔵




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べっぴんさん 実在モデル 尾上設蔵についてネタバレします。

ネタバレで、朝ドラ『べっぴんさん』では、ヒロイン すみれの父が
経営する坂東営業部の番頭を務める野上正蔵の実在モデルが
尾上設蔵です。



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では、べっぴんさん 野上正蔵の実在モデル 尾上設蔵とは
どんな人物だったのか、ネタバレします。

尾上設蔵は1887年(明治20年)に兵庫県赤穂で生まれました。

幼少の頃から計算能力が秀でていたため、銀行へと就職するために
大阪へと向かいました。

しかし設蔵の就職の世話人が勧めたことによって、
佐々木八十八が創業した「佐々木営業部」へと入社しました。

設蔵は真面目な性格で、他の何よりも働くことが好きな人物でした。

馬車馬のように働くことを嫌がらず、頭も良く人柄も誠実でした。

そんな設蔵を見ていた佐々木八十八は、その将来性を見込んで、
28歳のときに「佐々木営業部」の支配人(番頭)へと大抜擢します。

創業者 佐々木八十八の期待に応えたいと、設蔵は欧米式の
バランスシートという手法による在庫管理を採用するなど、
時代の先を行く経営スタイルを「佐々木営業部」に導入し、
八十八の期待に応えてきました。

そして、1923年(大正12年)に「佐々木営業部」の創業者である
佐々木八十八が、大阪市東区区会議員となったため、
尾上設蔵は「佐々木営業部」の経営の一切を八十八から任されるようになります。

そのすぐ後に関東大震災が発生します。

震災による不況によって、問屋という問屋が手形取引を廃止し、
現金取り引きを取引先に求める中、設蔵が経営者となった
「佐々木営業部」だけは手形取引を行うことを懸命に貫き通しました。

この姿勢が大手百貨店などからの信頼されることとなりました。

そして、関東大震災からの復興が進んでいくほどに
「佐々木営業部」の取引高も拡大し続けることになりました。

その後も設蔵は、東京と大阪にそれぞれ設立した「佐々木営業部」を
統合させます。

さらに海外に子会社を設立し、中国大陸へ進出させるなど、
会社のために奔走する毎日が続く中、1940年(昭和15年)に
亡くなります。享年は54歳でした。

「佐々木営業部」の経営のすべてを任されてもなお、設蔵は「佐々木営業部」は佐々木八十八からの預かり物、佐々木と尾上家は主従関係にあると認識し、世話になった八十八への報恩を貫き通す生涯でした。



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べっぴんさん 野上正蔵の実在モデル 尾上設蔵の家族構成について
ネタバレします。

尾上設蔵は生涯のパートナーとして、1911年(明治44年)に、
和歌山県の木寺岩吉の長女である木寺トミと結婚しました。

2人の間には、後に佐々木営業部(レナウン)の社長・会長となる
長男 清、長女 恵美子、次女 寿美子の3人の子どもが生まれています。

ここまでが、べっぴんさんで坂東営業部の番頭である
野上正蔵の実在モデル 尾上設蔵のネタバレでした。

尾上設蔵は、佐々木八十八に「佐々木営業部」の経営を任されても、
八十八からの預かっているだけという意識を大切にし、生涯、
八十八のために働き続ける人生となったようです。

そう思えるほど、八十八は尾上設蔵にとって尊敬できる人物だったのでしょうね。



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