まんぷくモデル福子の子供たちネタバレ!ご健在で日清食品の社長に




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まんぷくモデル 福子の子供たちについての内容です。

10月から始まった上半期の朝ドラ『まんぷく』。



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少し先のネタバレになりますが、福子と萬平の間には、源と幸という男の子と
女の子が産まれます。

萬平を演じる長谷川さんのキュートさにハセヒロイン「ハセヒロ」とまで呼ばれる方のお子様がたについて

モデルになってる今もご健在である人について書いていきます。

そこで今回は、福子と萬平の間に産まれる源と幸の実在モデルは誰なのかについて
まとめたいと思います。

まずは、まんぷくで福子と萬平の間に産まれる立花源の実在モデルについて紹介します。

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福子と萬平の間に産まれる長男の立花源の実在モデルは、安藤仁子さんと百福さん
の間に産まれた安藤宏基さんではないかと言われています。

安藤百福さんには、台湾にいた時の正妻との子供である安藤宏寿さんが長男に
いますが、まんぷくでは、宏寿さんを源の実在モデルとしているとは思えないので、
立花源のモデルは、安藤百福さんと仁子さんの間に産まれた安藤宏基さんだと
考えられます。

安藤宏基さんの画像はこちら

引用元URL: https://www.nissin.com/jp/about/nissinfoods-holdings/officers/

安藤宏基さんは、昭和22年(1947年)10月7日に安藤百福さんの次男として誕生します。

その頃、安藤百福さんは信用組合の「大阪華銀」の理事長を勤めていましたが、
あることをきっかけに、「大阪華銀」を倒産させてしまい、全財産を失います。

そんな状態であるにも関わらず、安藤百福さんは事業意欲が衰えることなく、
今度は即席麺の「チキンラーメン」の開発を始めます。

小学生になっていた安藤宏基さんも、この頃からチキンラーメンの開発を手伝う
ようになります。

安藤宏基さんは、大阪学芸大学附属池田小学校、同附属中学校、高校から
慶應義塾大学へと進学。

安藤宏基さんは、慶應義塾大学在学中に「出前一丁」という名前を考えて
その商品を成功させ、卒業後はアメリカのコロンビア大学でマーケティングを
学びに行きました。

ところが、マーケティングを信用しない父の安藤百福さんから、アメリカでの
販路開拓を命じられた宏基さんは、コロンビア大学を1年で中退し、アメリカ法人
「ニッシン・フーズ」の取締役に就任することになりました。

安藤宏基さんは翌年の昭和48年(1973年)7月に正式に日清食品に入社し、
昭和49年(1974年)には取締役に就任となりました。

その後、昭和51年(1976年)に日清食品のマーケティング部初代部長に就任した
安藤宏基さんは、「日清焼そばUFO」や「日清のどん兵衛」をヒットさせて、
昭和54年(1979年)には常務取締役営業本部長へと就任。

昭和56年(1981年)6月に、安藤百福さんは長男の安藤宏寿さんに社長を譲って
会長に退くと、安藤宏基さんは代表取締役専務に就任します。

しかし、父である安藤百福さんはたった2年で、長男の安藤宏寿さんを解任して、
自分が社長に復帰し、宏基さんを副社長に任命しました。

それからさらに2年後の昭和60年(1985年)には、安藤百福さんは、宏基さんに
社長の座を譲りました。

安藤宏基さんは、社長に就任後、「打倒カップヌードル」というスローガンを
掲げ、創業者で父でもある安藤百福さんを激怒させました。

元々、安藤百福さんはマーケティングなど信じない人であり、宏基さんとは
経営方針が合わないため、度々、仕事のことで衝突していたようです。

しかし、安藤宏基さんの社内改革は成功し、生タイプ麺の「日清ラ王」や1口
サイズの「マグヌードル」を生み出して、大ヒットさせました。

一方、カップラーメンの容器の環境ホルモン問題や、森永製菓・東洋水産との
対立など、数々の問題もあったようです。

その後、平成20年(2008年)に日清食品ホールディングスが設立されたことにより、
子会社となった日清食品の社長を中川晋さんに譲り、安藤宏基さんは日清食品
ホールディングスの代表取締役社長・CEOへと就任しました。

安藤宏基さんは、平成30年現在も、日清食品ホールディングスの代表取締役社長・
CEOを勤めています。

 

本当の子どもたちではないですけど、萬平さんと上郡(かみごおり)の子どもたちの楽しげなオフショット

ツイッターより

福子と萬平の間に産まれる立花幸の実在モデルについて紹介します。

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画像で右下の女の子が立花幸さんのモデルの明美さんです↑

 

福子と萬平の間に産まれる立花幸の実在モデルは、史実から仁子さんと百福さんの
長女である安藤(後に堀之内)明美さんです。

現在、日清食品グループで明美さんが活躍されているわけではないので、画像は
ありません。

安藤明美さんは、昭和24年(1949年)1月26日に、仁子さんと百福さんの長女として
産まれました。

その頃、百福さんは脱税の罪に問われていて、重労働4年の判決を言い渡されており、
巣鴨プリズンに収監されていました。

この話は、まんぷくでも同様に描かれると思いますので割愛します。

明美さんが小学校3年生の時に、安藤百福さんはチキンラーメンの開発に
成功していますが、当時は家族総出でチキンラーメンを生産していたため、
明美さんも兄の宏基さんが袋詰めした麺を足踏み式シーラーで閉じるお手伝いを
していました。

その時に、シーラー機の電熱部分に触れて、頻繁に火傷をしていたようです。

この頃の様子は、まんぷくで萬平が即席麺を開発するところでも描かれるのでは
ないかと予想しています。

母の仁子さんは非常に教育熱心だったことから、明美さんも兄の宏基さんと同じく、
キリスト教系の幼稚園から、大阪学芸大学附属池田小学校に進学させ、中学も
附属池田中学校へと進学しました。

高校は現在も大阪府内で有数の進学校として知られる北野高校を受験するつもり
でしたが、母の仁子さんが受験票を北野高校ではなく、私立の甲南女子高校に
送るというミスをしたせいで、明美さんは北野高校を受験することができずに結局、
甲南女子高校に入学することになりました。

その後、明美さんはその系列の甲南女子大学へと進学し卒業しています。

そして、兄の宏基の知り合いである堀之内徹さんとお見合いをして、堀之内さんが
長身で礼儀正しい好青年であったことから、明美さんだけでなく、仁子さんも
百福さんも堀之内さんのことを気に入り、すぐに2人は交際へと発展しました。

当時、堀之内徹さんは「日本アレフ」という現在も残っているスイッチや
センサーを製造する会社を経営していたため忙しく、2人が結婚したのは
お見合いから5年後の昭和51年(1976年)6月のことでした。

そして、平成2年(1990年)に堀之内徹さんは、日清食品の監査役として就任し、
平成27年(2015年)まで勤めていたようです。

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ここまでが、 まんぷくで福子の子供たちである立花源と立花幸の実在モデルについての紹介でした。

安藤仁子さんと百福さんの間に産まれた安藤宏基さんが、まだ存命でしかも
現役で日清食品ホールディングスの代表取締役社長・CEOとして働いている
ことに驚きました。

そして、明美さんが産まれた時の百福さんの状況は、まんぷくの萬平の状況と
全く同じなことにも驚きです。

史実に基づいて、まんぷくの物語は進んでいるのだと実感したと同時に、仁子さんは
本当に多大な苦労をしてきたのだなと感じました。

まんぷくでは、チキンラーメンを開発し成功するまでで終わるのか、その後も
描かれるのがまだわかっていませんが、チキンラーメンの後も話を描くなら、
安藤宏基さんを実在モデルとした立花源の活躍も目覚ましいものになりそうですね。

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