おしん キャスト のぞみ希望の百合ゆりは事故死!キャスト現在は?塩屋俊-寺田路恵の紹介

おしん

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『おしん』は1983年に放映され大人気となったNHKの朝ドラです。

 

今回は、そんなおしんが育て上げた八代希望(のぞみ)と嫁の百合ゆりについて役柄と演じた塩屋俊さんと寺田路恵さんについて紹介します。

 

おしんキャストのぞみ希望と百合ゆりの役柄と今後

 

希望とゆりの役柄をあらすじにて紹介します。

 

[希望の誕生と加代の望み]

 

昭和4年におしんは仁を生みます。

 

同時期に加賀屋の加代が希望を生んだのでした。

 

その後、加賀屋が危ないと云う噂を聞いたおしんは昭和5年の終わりごろ、加代に手紙をおくりますが戻されてきます。

 

その後に、りきからの手紙で夫の正男が自殺したことを知ったおしんは加代に連絡を取ろうとしますが電話も通じなかったのです。

 

そんな時に浩太が伊勢にやってきていました。

 

加賀屋は政男の失敗で潰れて、八代家は夜逃げ同然で離散したと浩太は言います。

 

おしんは加代の行方を探している浩太からの連絡を待ち続けます。

 

昭和6年の春になって、浩太が再び伊勢にあらわれたのでした。

 

浩太はおしんに100円と云う大金を預けて加代を迎えにいけと言います。

 

おしんは直ぐに加代がいると云う東京に向かいます。

 

しかし、健さんに頼んでおしんが連れていかれた加代がいる場所は女郎屋のような場所でした。

 

加代はみのの入院費を稼ぐために身を落としていたのでした。

 

しかも、加代を見受けする為には1000円もの大金が必要だったのです。

 

一旦はたかの家に引き返したおしんは、せめて希望と清太郎とみのの遺骨だけでも伊勢にと加代を訪ねなおそうとしますが、加代は自害していたのです。

 

おしんは希望と清太郎とみのの遺骨を引き取って伊勢に戻ります。

 

伊勢に帰ったおしんは竜三に希望を自分の子供として育てることを告げます。

 

そして、八代家の3人を弔って伊勢に墓を建てたのでした。

 

[5人兄弟姉妹の大家族の田倉家]

 

数年後のある日、健さんが10歳の初子と云う女の子を連れてあらわれます。

 

しかし、他人事には思えなかったおしんは大阪の年季に連れていく途中の初子を自分で引き受けることにしたのでした。

 

やがて、仁と希望が小学校に入学します。

 

おしんは希望を加賀屋再建のために八代姓のままにしていました。

 

しかし、学校などでそれが原因で希望は虐められますが、その度に仁が擁護したのでした。

 

そして、おしんは希望を加代の墓に連れて行く、八代の由縁を教えたのです。

 

雄が中学入学、初子が小学校4年、仁と希望が小学校1年のとき、竜三とおしんは徐々にあらわれ始めた4人の個性に戸惑います。

 

仁は希望に我儘を言うようになり、希望は初子を手伝います。

 

雄は皆にとって良い兄でした。

 

そして昭和11年に禎が生まれて、おしんは5人の子持ちとなりました。

 

[戦時中の田倉家と竜三]

 

昭和12年、日本軍は大陸に進出します。

 

小学校を卒業したら山形に戻されると思っている初子を雄と仁と希望が返さないで欲しいと竜三とおしんに頼み込んだのでした。

 

昭和12年の暮れに日本軍が南京を陥落させた頃に竜三は兄の亀次郎から商売を太くするよう忠告を受け、軍関係の仕事に切り替えます。

 

昭和15年には戦争が激しさを増す中で国家総動員法が施行されます。

 

昭和16年の春になると仁と希望が中学校に進学しました。

 

昭和16年12月、真珠湾攻撃で英米と戦闘状態になった日本。

 

そして、京都帝国大に進んでいた20歳の雄にも遂に召集令状が届いたのです。

 

昭和19年7月、サイパン陥落から一気に形勢が悪くなった日本軍は神風攻撃による奇襲作戦を展開します。

 

そして華々しく流されるニュースを聞いた仁が特攻隊に志願するのでした。

 

本土攻撃が激しさを増した頃、雄の戦死が伝えられ田倉家は悲しさに包まれます。

 

そして昭和20年8月になって広島と長崎に原爆が投下されます。

 

そして終戦。

 

終戦により軍隊はなくなりました。

 

そして、竜三は軍に加担してきたとひとり自害してしまいます。

 

[それぞれの道]

 

一方、仁は出撃できずに終戦となった事で生き延びていて帰ってきました。

 

仁は軍から持ち帰った品物を交換しながら必要品に変えていくカツギ屋を始めます。

 

それを希望も手伝います。

 

しかし、おしんは仁と希望を再開された中学校に通わすために自分と初子でカツギ屋を続けたのでした。

 

昭和25年、おしんは東京で身を落として働いていた初子を見つけ出し伊勢に連れ戻します。

 

そして、店と行商が軌道に乗ってきた頃に、希望が陶芸をやりたいと言い出します。

 

そして、仁の勧めもあって希望は窯元に弟子入りしたのでした。

 

この時点でおしんは希望による加賀屋の再興を諦めたのでした。

 

[人でなしの仁とゆり]

 

数年後、おしんは雄の戦友の川村から譲り受けた駅前の土地で田倉商店を開店します。

 

そして、田倉商店に17歳のゆりが奉公にくるようになったのでした。

 

昭和30年、その頃にはおしんはトラックを運転して魚や野菜を仕入れていました。

 

ある日、おしんは仁とゆりが只ならぬ関係になっていると初子から知らされ驚きます。

 

しかし、仁は初子と付き合っていながら東京で知り合った道子と結婚しようとしていたのです。

 

一方、おしんは仁が受講してきたセルフサービスを自分も理解しようとします。

 

しばらくして、仁は道子と結婚してセルフサービスの店を開きたいと言い出します。

 

それを聞いて驚くおしんと初子と愕然とするゆりでした。

 

おしんに自分の気持を訊かれたゆりは仁とは何もないと気丈に答えますが、翌日になると姿を消していました。

 

[ゆりの新たな仕事]

 

しばらくして、おしんのところに希望がやってきて、ゆりの事は自分に任せて欲しいと伝えたのでした。

 

ゆりは自分の働き口について希望に相談しにいっていたのです。

 

それを聞いた希望は窯元の女将さんに頼み込んで、ゆりに弟子たちの食事などの世話をする仕事をさせて貰うようにしていました。

 

一方、おしんは人でなしになり下がってしまった仁を情けなく思うのでした。

 

仁のセルフサービスの店の開店資金を出すつもりである道子の父親の川部仙造はおしんと衝突します。

 

しかし、おしんは自前で開店に漕ぎつけるのでした。

 

その頃、ゆりは窯元夫婦に大切にされながら、下働きの仕事をしており、ずっと働き続けたいと思っていました。

 

どたばたしながらも結婚した仁と道子が結婚して新婚旅行に行っている頃に、希望は窯元の師匠から呼ばれました。

 

師匠は次の窯で希望の作品を一緒に焼いてくれると希望は伝えられたのです。

 

昭和31年元旦におしんと初子がふたりだけの正月を過ごしている頃、希望は正月休み返上で師匠から言われた作品作りに取り組んでいました。

 

窯元夫婦が正月を温泉で過ごすために出掛けたのでよりも留守番です。

 

師匠と同じ窯で焼いてくれると云うのは希望が陶芸家としてやって行けるか否かの試練だったのでした。

 

希望は師匠の窯に10点も入れて貰えることになります。

 

そして窯入れ。

 

窯入れは陶芸家にとって最も需要で気を遣う工程です。

 

希望は三日三晩不眠不休で焼き上げました。

 

ゆりもおにぎりを作ってそんな希望を支えたのでした。

 

[希望が陶芸家になってゆりと結婚する]

 

新店舗の準備に忙殺されているおしんですが、しばらく連絡のない希望のことが気になります。

 

おしんが窯元を訪ねようかと思った矢先に、希望とゆりが突然あらわれました。

 

希望は陶芸家としてやっていける目途が立ったとおしんに報告したのです。

 

そして、百合と結婚して師匠の近くで小さな所帯を持って作陶していきたいと言い出します。

 

それを聞いたおしんと初子は喜び、さっそくその足で加代の墓前に行き報告したのでした。

 

そうして、希望とゆりの結婚式です。

 

田倉家からはおしんと初子だけが出席し、仁夫婦には列席を禁じます。

 

場所は窯元夫婦の家で質素な挙式でしたが、おしんは大いに満足したのでした。

 

おしんは仁とは違い自分の力だけで生きて行こうとする希望を称賛していたのです。

 

引き出物は希望が焼いた壺です。

 

それを仁が味噌でも入れるのかと言うのを聞いて誰も相手にしませんでした。

 

[希望の作品が評価され始める]

 

セルフサービスの開店は仁の知り合いの崎田辰則を加えてラストスパーに入っていました。

 

しかし、道子と田倉家の溝は深まっていくばかりです。

 

昭和31年3月15日、やっとの思いでセルフサービスの店が開店します。

 

希望とゆりも赤飯を炊いてお祝いに駆け付けたのでした。

 

そして、1年が過ぎて開店一周年の日に家族が集まってお祝いと竜三と雄の13回忌の法要を催されました。

 

おしんは久しぶりに会った希望に近況を尋ねます。

 

ふたりとも元気に暮らしているが未だ子宝には恵まれていなかった希望夫婦でしたが、希望が造る焼き物が少しずつ売れ始めていたのです。

 

それを聞いたおしんは希望が自分の窯を持つ日が待ち遠しいと伝えたのでした。

 

おしんはこの時には57歳になっていました。

 

[おしんの交換条件]

 

ある日、田倉家でチェーン店の出店の会議が開かれている時に、希望の作品が展覧会で特選を受賞したとの知らせが飛び込んできます。

 

それを聞いておしんは、チェーン店の出店を認める交換条件として、おしんが希望を援助して窯を持たせて独立させたいと言い出したのでした。

 

おしんは希望とゆりの貧乏生活を前から不憫に思っていたのです。

 

後日、おしんは窯元の希望の師匠を訪ねて、希望の独立をお願いします。

 

すると師匠も希望の独立の支援を約束してくれたのでした。

 

おしんは希望を支援するために投機用に購入していた土地を売却しようとしますが、仁が勝手に抵当に入れてしまっていました。

 

仁に対し激怒したおしんは、初子の為に用意していた株券と希望が焼いた壺を持って浩太を訪問します。

 

その壺をみた浩太は加代を思い浮かべながら支援を約束してくれたのでした。

 

そして、窯の火入り式には自分も参加したいと希望に伝えて欲しいとおしんに頼みました。

 

[ゆりが死んでしまう]

 

こうして希望はおしんの支援で自分の窯と住居を構えることになります。

 

希望もゆりも自分たちの窯と住居が持てることを喜びつつ、支援してくれた並木浩太との関係をおしんに訊いたのでした。

 

おしんは自分が借り入れた金だから心配無用だといいますが、希望は自分の借金だから返すつもりだというのです。

 

それを聞いたおしんは初子にしか話していない浩太との関係を話す決心をしたのでした。

 

スーパーたのくらの2号店と3号店を開店が成功して4号店の出店の計画をするころに、希望の窯と新居も完成しました。

 

おしんと初子は引っ越しの前日に完成した希望の窯と新しい家を見に行って、ゆりの手料理を食べながら楽しいひとときを過ごします。

 

しかし、おしん達が帰ったあとでゆりが買い物地中に交通事故にあって病院で死んでしまったのでした。

 

希望はゆりを新しい家に連れて帰ると、傍らでは何もわからない圭がゆりを呼んでいたのでした。

 

[ゆりが生涯ただひとりの妻]

 

希望はゆりが幸せの絶頂で死ぬことができたと涙ぐみます。

 

ほどなく、ゆりの葬儀が執り行われますが、おしんは仁夫婦の参列を禁止したのでした。

 

それは、昭和42年秋のことでした。

 

希望はゆりがいなくなった絶望感から逃れるために作品作りに集中しようとしますが、幼い圭がそれを妨げます。

 

おしんはそれを見て自分がしばらく圭を引き取ることを希望に申し出たのでした。

 

ゆりの49日の法要が終った頃、おしんと初子は希望の家の新築祝いに行きます。

 

新築祝いが終って、おしんと浩太と希望が残って話をしていました。

 

浩太はそこにあった立派な壺を見つけて希望に譲って欲しいと頼みます。

 

しかし、希望自身もこの壺が好きだったのでゆりの骨壺にしようと思っていると断ったのでした。

 

その頃の圭はすでに初子にとても懐いていて、おしん達が帰る時も一緒についてくるのでした。

 

おしんは希望と初子が一緒になってくれたらと思いますが、希望は生涯にわたって自分の妻はゆりだけだと言うのでした。

 

その後、希望は自分の働く姿を圭に見せながら作陶を続けます。

 

そして、その年の終わり頃に初釜で焼いた作品が出来上がり、それは高い評価を得たのでした。

 

[皆がまたそれぞれの道を歩み始める]

 

しばらくして、おしんは初子に手芸の店を持たせます。

 

その頃には仁も改心していて、希望とふたりで田倉家のために尽くしてきた初子に兄弟で報いようと協力していたのです。

 

そして、仁は希望の作品を展示する為のギャラリーを手掛け始めたのでした。

 

そうして、希望の焼いた作品にも初子が作った手芸品も周囲から評価され高値がつくようになったのです。

 

十数年の時が流れました。

 

大学生になった圭がおしんに話をします。

 

大学を卒業したら会社勤めはせずに加賀屋の暖簾をあげて商売を始めるつもだと圭はおしんに伝えたのです

 

それを聞いたおしんは、これで加代に顔向けができると満面の笑みを見せたのでした。

 

<おしんキャストのぞみ希望役を演じた塩屋俊さんのプロフィール>

[生年月日]

 

1956年8月5日(2013年6月5日逝去)

 

[出身地]

 

大分県臼杵市

 

[主な出演作品(テレビ)]

 

離婚ともだち(1980年)、元気です!(1980年)、探偵同盟(1981年)、御宿かわせみ(1982年)、青春前後不覚(1983年)、火の坂道(1983年)、夕空はれて(1984年)、男が家を出るとき(1985年)、いのち(1986年)、嫁と呼ばないで(1986年)、牟田刑事官事件(1987年)、娘たちよ(1987年)、1・2・3と4・5・ロク(1988年)、結婚の理想と現実(1991年)、親愛なる者へ(1992年)、腕におぼえあり(1992年)、人見絹枝(1992年)、魅せられて(1994年)、妻の恋(1995年)、ふぞろいの林檎たち(1997年)、身辺警護(1998年)、徳川慶喜(1998年)、ズッコケ三人組(1999年)、国際金融戦争(1999年)、アナザヘヴン(2000年)、夜叉(2000年)、僕は旅をする(2001年)、最悪(2001年)、罠の二重誘拐(2002年)、焼け跡のホームランボール(2002年)、まんてん(2002年)、京舞妓殺人事件(2003年)、こちら森中探偵堂(2006年)

 

[主な出演作品(映画)]

 

アンボンで何が裁かれたか(1990年)、ミスター・ベースボール(1992年)、さまよえる脳髄(1993年)、四十七人の刺客(1994年)、愛の新世界(1994年)、AMIKAZE TAXI(1995年)、トラブルシューター(1995年)、大統領のクリスマスツリー(1996年)、釣りバカ日誌9(1997年)、バウンス ko GALS(1997年)、釣りバカ日誌10(1998年)、’hood’/フッド(1998年)、いちげんさん(2000年)、アナザヘヴン(2000年)、宣戦布告(2002年)、星砂の島、私の島(2004年)、スクールウォーズ・HERO(2004年)、イマドキジャパニーズよ。愛と平和と理解を信じるかい?(2008年)

 

おしんキャスト百合ゆり役を演じた寺田路恵さんのプロフィール>

[生年月日]

 

1942年11月27日

 

[出身地]

 

東京都武蔵野市

 

[主な出演作品(テレビ)]

 

やさしい女たち(1967年)、泣いてたまるか・兄と妹(1967年)、おふくろ(1968年)、華やかな春(1969年)、おやじ乾杯(1969年)、男はつらいよ(1969年)、 おれの義姉さん(1970年)、女・かけこみ寺(1982年)、しのぶ(1985年)、整形復願未亡人(1986年)、空白の実験室(1986年)、妻殺し(2001年)、無実の証明(1988年)、女に生まれて(1988年)、明日さがし(1990年)、嵐の中の愛のように(1993年)、春よ、来い(1994年)、指輪(1995年)、眠れる森(1998年)、櫂(1999年)、伊豆・天城越え殺人事件!(2001年)

 

[主な出演作品(映画)]

 

橋のない川(1969年)、君が若者なら(1970年)、家族(1970年)、新座頭市・破れ!唐人剣(1971年)、甦える大地(1971年)、君は海を見たか(1971年)、鯉のいる村(1971年)、日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章(1981年)

 


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