エール ネタバレ コロンブスレコードのモデル:日本コロンビアについて

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『エール』は2020年3月30日から放送開始のNHKの102作目の朝ドラです。

 

今回は古山裕一が活躍の場としていた『コロンブスレコード』のモデルと言われる『日本コロンビア』について紹介します。

 

<日本コロンビアの沿革>

 

[1907年]

 

横浜の貿易商ホーンが蓄音機とレコードの製造会社「日米蓄音器株式会社」と販売会社「日米蓄音器商会」を設立

 

[1910年]

 

株式会社日本蓄音器商会設立

 

初代社長はホーン。

 

[1912年]

 

日米蓄音器製造株式会社を合併。

 

[1926年]

 

英国のコロムビアレコードと契約

 

[1927年]

 

米コロムビアレコードと契約

 

コロムビアレコード発売を開始

 

[1928年]

 

商号を日本コロムビア株式会社に変更

 

[1931年]

 

米コロムビアから商標権を譲渡

 

[1942年]

 

商号を日蓄工業株式会社に変更(戦時中対応)

 

レーベルもニッチクに変更

 

[1946年]

 

商号を日本コロムビア株式会社に戻す

 

日本電気音響株式会社買収

 

[1949年]

 

東証1部へ上場

 

[1951年]

 

日本初のLPレコード発売

 

[1958年]

 

ステレオLPレコード発売

 

[1959年]

 

自社独自のステレオ録音開始

 

[1962年]

 

国内でのSP盤プレス発売終了

 

[1963年]

 

日本電気音響株式会社を合併

 

[1964年]

 

電子ピアノ「エレピアン」発売

 

[1967年]

 

米コロムビアレコードとの契約解消

 

[1968年]

 

日本国内での米コロムビア原盤の発売権をCBSソニーレコ            ードに移管

 

歌手やスタッフの一部をCBSソニーに移籍

 

[1969年]

 

日立製作所と資本提携

 

[1970年]

 

世界初PCM方式によるデジタル録音

 

[1972年]

 

本格的なPCM録音によるレコード製作開始

 

「PCM」を登録商標化

 

[1980年]

 

壁掛型ポータブルレコードプレーヤー「フリースタイル」発売

 

[1982年]

 

コンパクトディスクの再生機及びソフト発売

 

[2001年]

 

AVメディア関連機器部門を株式会社デノンとして分離

 

[2002年]

 

コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社に商号変更

 

[2010年]

 

創業100周年

 

日本コロムビア株式会社に商号変更

 

[2012年]

 

音楽映像ソフトウエア及びゲーム関連ソフトウエア等の販売事業等の分社化

 

[2014年]

 

株式公開買付けで株式会社フェイスが過半数の株式取得

 

フェイスの親会社化

 

[2017年]

 

上場廃止

 

株式交換によりフェイスの完全子会社化

 

<古関祐而さんと古賀政男さんとの関係>

 

川俣銀行で働いていた古関祐而さんはイギリスの作曲コンクールに応募して2等に選ばれます。

 

そのことを新聞が扱ったことが内山金子さんと古関祐而さんを結びつける切欠となりました。

 

金子さんのことが頭から離れなくなった祐而さんは金子さんの写真を肌身離さずもっていたと言います。

 

そして留学に行く前に結婚してしまおうと豊橋の内山家を訪ねて、いきなりプロポーズした祐而さんでした。

 

ところが何故か祐而のイギリス留学の話が途絶えてしまいます。

 

既に、川俣銀行を辞めていた古関祐而さんは困り果てて、音楽家として生計を立てようと、『ビクター』や『日本コロンビア』などのレコード会社に自分が作曲した楽譜を送り付けたのでした。

 

そんな状況の時に、『日本コロンビア』で顧問をしていた山田耕筰さんの推薦を得ることができた古関祐而さんは妻の金子さんと福島から上京して、1930年に『日本コロンビア』の専属作曲家になったのでした。

 

その年に祐而さんと同じように『日本コロンビア』の専属作曲家になったのが古賀政男さんでした。

 

当時、『日本コロンビア』は二人の新人と専属契約を結んで売れた方を残そうと考えていたようです。

 

切磋琢磨する祐而さんと政男さんでしたが、古賀政男さんが先に『酒は涙かため息か』をヒットさせたため、古関祐而さんは契約解除の危機にさらされます。

 

それを救ってくれたのは、ライバルの古賀政男さんでした。

 

政男さんはスランプで契約を左右されたら安心して創作活動などできないと『日本コロンビア』に抗議してくれたのです。

 

『日本コロンビア』との契約解除を免れた祐而さんでしたが、なかなかヒット曲をだせませんでした。

 

『日本コロンビア』に入ってからの古関祐而さんの初ヒットは作詞家の高橋掬太郎と組んでつくった『利根の舟歌』で最初に契約してから4年が過ぎていました。

 

翌1930年に『船頭可愛いや』を大ヒットさせた古関祐而さんに『日本コロンビア』の社長は大喜びで、それまでの祐而さんの損失を帳消しにしてくれたと言います。

 

ちなみに、『船頭可愛いや』はオペラ歌手の三浦環さんもレコードに吹き込んだのでした。

 

ちなみに戦争で大きな被災を負った日本で焼失を免れたレコード工場は『日本コロンビア』だけだったと言われています。

 

<感想>

 

『日本コロンビア』は日本の音楽界をリードしてきた老舗だったのに2017年に実態がフェイスに吸収されてしまったことは寂しいです。

 

古関祐而さんと古賀政男さんを競わせて、勝った方だけを残そうとして『日本コロンビア』は冷酷にも思えますが、会社も厳しい競争を生き抜くためには仕方ないことだと思います。

 

もし、古賀政男さんが『日本コロンビア』で同期ライバルにいなかったら古関祐而さんと云う作曲家は日本の音楽史に名前を刻んでいなかったかも知れませんね!?


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