〈福子の姉である内田有紀さんの咲の実在モデルは、安藤晃江(てるえ)です。〉
安藤家は、父親が人力車の事業をしていた資産家でした。次第に父親の事業が傾き安藤家は、極貧に転落しました。そしてヒロインの福子が小さい時に父親が亡くなりました。父親代わりで一家の大黒柱を務めたのは、長姉の安藤晃江です。晃江は、どんな人物だったのかをお話します。晃江は、結婚しましたが病に勝てず若きしてこの世を去ってしまいました。可愛らしい容姿ですが太く短く生きた人生に思えます。
ヒロイン今井福子は、三人姉妹です。今井家は、父親が人力車の会社を営み裕福でした。しかし福子が小さい時に父親を亡くしました。父親代わりとなり今井家を支えました。その人物は、安藤晃江です。末っ子の福子より九歳年上です。 実在する人物です。樟蔭高等女学校に通っていました。
内田有紀さんの最後の演技には( ;∀;)涙であまり画面がみえませんでした。
その頃は、父親の人力車の会社も順調でした。晃江は、大阪市の自宅から東大阪市の樟蔭まで人力車で通っていました。おそらく現在の淀川区十三辺りに住んでたいらしいです。現在なら阪急電車の十三駅から東大阪市まで人力車で通うほどのお金持ちでした。当時は、海外からの輸入品は珍しい時代でした。
そんな中で大好きなおやつがありました。それは、当時はまだ高価だったチョコレートやビスケットでした。
しかしそんな運も父親の事業の業績悪化により見放されてしまいます。
晃江には絵の才能がありました。偶然にも家の向かいに美術学校の先生に認められました。晃江の才能を見込んで授業料免除で美術学校に入学することができました。
その後、父親の事業が失敗しました。
安藤家は、生活に困窮しました。晃江は、絵の勉強を続ける事ができなくなりました。一家の大黒柱となり宝石や美術工芸品を販売する「尚美堂」で働きました。
晃江は、色白美人で華やかな容姿でした。
性格は、非常に優しい性格でした。優しさのあまり自分より人を優先させてしまう傾向がありました。容姿端麗で性格も良いので男性に人気がありました。
晃江は、大変よくモテたらしく交際や結婚の申し込みが多くありました。実際近所に住んでいた歯科医が白馬に乗って交際を申し込みに来たそうです。
しかし歯医者との交際を拒みました。母親の鈴は、晃江がよくモテたのも悩みでした。当時のデートスポットは、公園が人気でした。晃江は、よく色んな男性に天王寺公園にデートに誘われました。
鈴は、娘の恋愛には神経質になり警戒していました。その理由は、鈴は、教師になるのが夢でした。しかし結婚して家庭に入り夫を支える為に自分の夢を諦めました。しかも夫の事業の浮き沈みがありました。
確かに夫の事業の良い時は、贅沢な生活ができました。しかし夫の事業が傾くと生活は極貧になりました。毎日の食事も淀川でシジミを捕まえて食べる毎日になりました。母親の鈴は、三人の娘にはお金に困る生活はさせたくないという思いが強かったです。だから晃江がデートに行くとなると警戒しました。
晃江がデートに誘われると母の須磨は、福子を一緒に連れて行くように命じました。また福子には絶対に晃江の手を離してはならないという条件でデートに行くのを許しました。
やがて末っ子の妹の福子が京都のホテルに就職が決まりました。晃江は、会社員の婚約者の小野塚真一と結婚しました。結婚生活は、貧しかったです。その為に晃江は、再び以前勤務していた「尚美堂」で働き始めました。確かに裕福ではないけれども笑いのある楽しい結婚生活でした。
しかし晃江は、病で寝込んでしまいました。病名は、[結核]でした。当時の結核は、不治の病と言われました。晃江は、病には勝てず27才で還らぬ人となりました。
晃江には、妹の克子もいました。お嬢様育ちから転落して安藤家の生活を支えました。二人の妹の父親代わりを務めましたが二人の妹も女学校に進学しました。当時の日本は、今より男尊女卑の思想が強い時代でした。
そんな時代に女性が家庭を支えるなんて並大抵な事ではありませんでした。ましても二人の妹を女学校に進学させるなんてかなり頼もしい女性です。
白馬に乗って歯医者が交際を申し込みに来るなんて女性から見たら羨ましい話です。かなりモテたらしいですので男性を見る目は、肥えていたと思います。そんな晃江が最終的に結婚したのは、決して裕福とは言えない会社員でした。晃江が夫に選んだ男性は、きっと人間的に光る物を持っていたと思います。
晃江が27才の若さでこの世を去ってしまいました。もう少し晃江が長く生きていたら内助の功の発揮してたと思います。内助の功により夫も輝く経歴になっていた可能性が高いと思います
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