今回は『ちむどんどん』の38話(第8週)6月1日水曜日放送後の詳細あらすじネタバレについて紹介します。
【大切なのは相手のことを考えること】と題して8週38話をお送りします。
和彦は大物シェフの取材に成功したかに思えましたが、デスクか厳しく言われます。
取材記事は自身の成果を見せるものではなく、読者に人物像を伝えることが最も大切だという田良島。
暢子が完敗した房子が作ったペペロンチーノも、食べる人のことを第一に考えていました。
料理と新聞の共通点がひとつ見つかりそうです。
<ちむどんどん 38話のあらすじネタバレ>
沖縄居酒屋『あまゆ』に移り住んできた青柳和彦に向かって、沖縄県人会の会長である平良三郎が問いかけます。
横浜の鶴見にやってきた目的は沖縄の記事を書くためだろうと尋ねたのでした。
すると和彦は、自分にとって沖縄はライフワークだと答えて、自分の父親で民俗学者だった史彦がやり残した仕事を引き継ぐのだと言います。
三郎自身も沖縄2世ながら、沖縄から本土にやってきた先人たちのことを語り継いでいくことの重要性を感じていて、和彦に協力を申し出てくれたのでした。
暢子が『アッラ・フォンターナ』のオーナーである房子から、東洋新聞で雑用アルバイトとして働けと命じられてから3カ月が過ぎました。
学芸部ではデスクの田良島から新聞を読むように指示された暢子でしたが、なかなか習慣にすることができません。
そんなある日、和彦は上司の田良島に自分が書きたいテーマについて申し出ていました。
それは、著名人が人生最後に食べたいと思う『想い出の味』についての記事で、『我が生涯最後の晩餐』というタイトルでした。
ところが『我が生涯最後の晩餐』は東洋新聞の中にあっても人気のある企画で、まだ経験も少ない和彦が担当できるようなものではなかったのです。
しかも、和彦が取材しようと考えていたのは、来日中の大物イタリア人シェフの
アレッサンドロ・タルデッリだったのです。
アレッサンドロの故郷はミラノで、彼はその地域性を打ち出している三ツ星レストランのオーナーシェフだったのでした。
その上、大のマスコミ嫌いでかなり偏屈だと噂されていたのです。
単なる美食礼賛ではない新しい晩餐を記事にしてみせると意気込む和彦の熱意に、デスクの田良島も、取材を許可したのでした。
その頃、沖縄では末っ子の歌子が新人歌手発掘オーディションに挑んでいました。
自分の順番が迫ってきて怖気づきそうになった歌子でしたが、暢子のアドバイスを思い出して気持ちを落ち着けます。
それは、一番聴いてもらいたい人を思い浮かべて、その人のために歌うというものだったのです。
歌子は大好きな家族のことを想い浮かべながら『翼をください』を見事に歌い上げたのでした。
田良島の許可を得た和彦は、大物イタリア人シェフであるアレッサンドロに取材を申し込みますが、あえなく断られてしまいます。
それでも、田良島がサポートしてくれたおかげで、何とか取材に漕ぎつける事ができた和彦。
その取材は暢子も手伝うことになります。
和彦は予め考えていた『料理と文化』についての質問を中心にインタビューを続けると、アレッサンドロはそれに流暢な日本語で答えてくれます。
インタビュー時間が終るころ、人生最後に食べたい料理は何かをアレッサンドロに尋ねた和彦。
大物シェフはしばらく考えてから『ピッツァ・マルゲリータ』と返事をしてくれます。
しかし、その理由を聞くことなくインタビューは終わってしまったのでした。
取材嫌いにもかかわらずアレッサンドロから、楽しかったと感謝の言葉をかけられた和彦は喜びの余りそれ以上の質問をしなかったのです。
それから数日後のある日、和彦の記事が掲載されます。
するとデスクの田良島が和彦を呼び出して取材について質問しました。
アレッサンドロはミラノ出身なのに、どうして最後の晩餐にイタリア南部の料理である『ピッツァ・マルゲリータ』を選んだのかというものでした。
和彦は『料理と文化』に焦点を絞り過ぎて、アレッサンドロの人間性に斬り込むことができていなかったのです。
怒った田良島から、人間性を伝えることが最も重要だと言って、すぐに追加取材を申し込めと命じたのです。
有頂天になっていた和彦は、一気に叩き落されます。
深刻な面持ちになってしまった和彦の様子を、暢子は心配そうに見守るのでした。
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