『ちむどんどん』の東京鶴見編が始まって以来、イタリアンレストラン『アッラ・フォンターナ』のオーナーである大城房子の素性や本当に姿が気になって仕方がありません。
今回は、そんな大城房子について整理・推測してみたいと思います。
大城房子は比嘉賢三の叔母?関係性のネタバレ正体は?7つのポイント
既に、大城房子が平良三郎と暢子の父親であった比嘉賢三と面識があったことが明らかになっています。
ただ、どんな関係であったかについては、7週まででは一切触れられていません。
29話で暢子が『アッラ・フォンターナ』に採用されたときのシーンにいくつかのポイントが残されています。
・ポイントその1
「暢子に採用を告げたあとで、房子は厨房で『比嘉賢三』の名の入った包丁を見つけて表情を変えたこと」
ポイントその2
「あらためて平良三郎からの紹介状に目を通したとき、『比嘉賢三の娘』という文字に『まさかや』とつぶやいたこと」
この2つのポイントから、大城房子も平良三郎も暢子の父親である比嘉賢三と、それなりの関りがあったことが推測できます。
さらに、気になるのは三郎の紹介状の内容にあった文面です。
ポイント3
「今更かと思いましたが、これも何かの縁かと・・・」
『今さら』という言葉は、以前に何かあって反故にしたときに使われるのが一般的です。
過去に何かを反故にされたけれど、また機会が巡ってきたという意味で『何かの縁』のように思われます。
思い当たるのが、暢子が未だ小学生であった2週での話の展開があります。
その時の流れは、父親の賢三がサトウキビ畑で倒れて亡くなってしまったときに、母親である優子の元に手紙が届いていました。
それは、賢三の親戚にあたる叔母からの手紙です。
その時の手紙の文面は明かにされていませんが、共同売店の店主である前田善一の話した言葉からいくつかの事実がわかります。
ポイント4
「賢三には東京に叔母がいて、人づてに賢三が亡くなったことを知った」
つまり、賢三が亡くなったことを知らせないくらい疎遠だった親戚がいたということになります。
しかも、その手紙から賢三の叔母は比嘉家に4人の子供がいることを知っていて、ひとりの面倒を見る事を申し出ています。
しかし、どうやら優子も伯父の賢吉も会ったことはないようです。
ただ賢吉の発言に人物を推測する内容が含まれていました。
ポイント5
「その人は気難しくて金の亡者という噂がある」
ポイント6
「親の代に本土に移住している」
ポイント4から6まででわかることを整理すると
①東京には賢三の叔母にあたる人がいる
②親戚付合いはないが、何故か比嘉家に4人の子供がいることを知っている
③子供がいないのか、子供を引き取って育てる気持ちがある
④気難しくて金の亡者という噂がある
⑤東京では沖縄2世である
となります。
『金の亡者』という言葉は、32話で『あまゆ』に集まっていた労働者たちが房子を称して言っていたシーンがあります。
ポイント7
「房子は鼻っ柱の強い金の亡者で助け合いの精神を忘れた人でなし」
ただ、どうしてそんな評判なのかは触れられていないので、真偽のほどはわかりません。
でも賢吉の話と労働者たちの話が一致しているのも引っ掛かります。
ポイントを整理してみると、賢三の東京の叔母と、大城房子の共通点の多いことに驚きます。
逆に大城房子が賢三の叔母だと仮定すると、さまざまな話のつじつまが合ってきます。
ここで賢三の叔母という親族関係も整理してみましょう。
『伯母』は父母の姉をあらわし、『叔母』は父母の妹を示します。
つまり賢三の叔母は、自分の両親より若い女性ですが親の世代であることに変わらないので、賢三よりかなり年上の存在になります。
残念ながら7週までで房子の年齢が予想できる内容はありません。
また役を演じる俳優さんの実年齢を調べても意味がないので割愛します。
では、平良三郎の手紙の内容に戻って、東京の叔母と大城房子が同一人物である可能性を検証してみましょう。
ポイント1と2は、房子にとって賢三が自分の甥であれば、暢子とは血縁関係になります。
そして、賢三が亡くなったときに自分が優子宛に書いた手紙で、一度は引き取ることになった又姪の暢子だと知ったとしたら何と呟くでしょう。
多分「まさか」ですよね。
そうすると、ポイント3の三郎の紹介状にもつながります。
昔にドタキャンしておいて、面倒を見て欲しいというのは今さらですよね。
そして、一旦は切れてしまった縁がつながるのだから、何かの縁だと言えます。
房子についてわかっているのは、親の代に沖縄から本土にやってきてい事実と、房子自身は沖縄2世で、かつては鶴見の沖縄県人会のメンバーだったことです。
ではなぜ、東京の叔母は賢三に4人の子供がいることや、亡くなったことを知っていたのでしょう。
話の流れより大城房子自身が、沖縄に知り合いがいるとは考えにくい状況です。
房子の周囲で今でも沖縄と連絡が取れる人物は、県人会会長の平良三郎が思い当たります。
27話では暢子が平良家にたどり着いたときに、山原村の知り合い経由で優子に無事を知らせるシーンがありました。
賢三が亡くなったことは、山原村の知り合いから賢三を良く知っていた平良三郎に伝わったと考えるのが自然です。
そのときに比嘉家の優子が子供4人を抱えて大変だということも一緒に伝わったのではないでしょうか。
ただ三郎や房子は賢三に4人の子供がいることを、本人から聞かされていた可能性もあります。
ちむどんどんキャスト相関図「沖縄-東京-鶴見編」全登場人物を図解
大城房子のキャスト役柄紹介では、このように紹介してます⇓⇓
「実は強くて聡明な房子は比嘉家とは深い因縁があったのです。」
平良三郎と大城房子の関係は恋人元カノ?
ここで大きな疑問が浮かんできます。
それは、平良三郎と大城房子の関係です。
もともと県人会に所属していた房子が、何故脱会して住み慣れた鶴見を離れたのかは明らかにされていません。
もうひとり気になる人物がいます。
それは三郎の妻の平良多江です。
番組の事前情報では、三郎との間には過去の問題があることがわかっています。
何となく匂うのは三郎と多江と房子の三角関係か、房子は三郎の元カノではないかということです。
房子が鶴見を離れた原因は、三郎が多江と結婚したからかも知れません。
イタリアで修業して料理人になった大城房子ですが、どのタイミングで海外修行を思い立ったのかも現時点では明らかになっておらず謎が残ります。
不思議に思ったのは三郎が暢子に『アッラ・フォンターナ』を紹介したとき、店の前まで案内して引き返してしまったことです。
しかも、そのあと紹介状を読んだ房子は辺りを見回して、三郎を探すようなしぐさをしています。
お互いに会いたくても、会えない間柄になっているようです。
賢三が亡くなって比嘉家が4人の子供を抱えて困っていることを知った三郎は、独身を通して仕事の鬼と化している房子のことが頭に浮かんだのではとも考えられます。
三郎は房子の独りぼっちの人生を、比嘉家の子供を引き取ることで変えようと思って、提案したのではないでしょうか。
大城房子が、優子に手紙を出した張本人だと仮定すると、すべてのつじつまがあってきます。
そして最後に残る疑問は、比嘉賢三と平良三郎と大城房子の関係性です。
比嘉賢三は親戚である大城房子を頼って鶴見にやってきたことも考えられます。
賢吉が東京の叔母のことを知っていたので賢三が知っていても不思議ではありません。
その鍵を握っているのは、賢三の名が入った包丁のように思えます。
比嘉賢三はかつて鶴見で料理の修行をしていて、そのときに大事な人から自分の名前が入った包丁を貰っていたのです。
それは伯母である大城房子だったかもしれません。
そのときも三郎は県人会の会長をしていたのではないでしょうか。
最後になりましたが、大城房子役を演じている原田美枝子さんの言葉を紹介します。
“働く女性が生きにくかった時代に、結婚もせずひとりで生きる覚悟をした潔い女性です。”
“房子自身がたどってきた人生への誇りと孤独を抱えたうえで、暢子なりの人生を追い求めなさいと背中を押す。かっこいいリーダーだと思います。”
大城房子のキャスト役柄紹介では、このように紹介してます⇓⇓
「実は強くて聡明な房子は比嘉家とは深い因縁があったのです。」
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