このページは、NHK大河ドラマ「光る君へ」41話のネタバレあらすじと、史実や公式情報からの予想あらすじ解説です。
光る君への41話のネタバレあらすじ・史実・源氏物語からの予想では、
一条天皇の死後、後継者問題で、彰子が道長に激怒!関係悪化してくるのではと……
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光る君へのネタバレ41話あらすじ 大河ドラマ2024
光る君への41話ネタバレ:一条天皇の死後、後継者問題で
一条天皇が病になり道長はこれをきっっかけに一条天皇に譲位するよう話します。
一条天皇は皇后所生の敦康親王を正嫡としていましたが中宮彰子の手元で育てていた敦康親王に同情的であり敦康親王を立太子するのをあきらめ敦成親王を立太子させます。
そして1011年6月13日ついに一条天皇は三条天皇に譲位は出家しますが6月22日に一条院は宝算32歳で崩御し彰子は24歳の若さで夫を失います。
彰子は24歳で夫を亡くし、幼い子供たちを抱えながら、深い悲しみに暮れました。
その後も、彰子は父道長から夫の譲位のことを一切聞かされていなかったと 夫や養い子がないがしろにされたと怒りをあらわにします。
一条天皇の逝去に伴い、居貞親王が三条天皇として即位しました。
彼は道長の妹、超子の息子であり、叔父と甥の関係にあったにも関わらず、超子の早すぎる死により、道長との絆はそれほど強くなく、共感も少なかった。
三条天皇は自ら政治を行うことを望んでいましたが、実際の権力は道長が握っており、天皇の意見はほとんど反映されませんでした。
1011年の夏、一条天皇の葬儀後、道長と彰子が天皇の遺品を整理していた際、天皇が「正しい政治を望むも、讒臣たちが国を乱す」と記した日記を発見しました。道長はこれを自身への非難と捉え、激怒して日記を破り捨てました。讒臣とは、人を陥れるために偽りを吹聴する者のことで、道長はこれを藤原家への言及と解釈しました。
*【注釈史実より】このエピソードは『古事談』や『愚管抄』などの鎌倉時代の文献に記されており、その信憑性は疑わしいものの、『小右記』や『扶桑略記』などの先行文献からの引用が多いため、現代でも真実は明らかではありません。
光る君への41話ネタバレ:彰子が道長に激怒!関係悪化
一条天皇と彰子の間には、後一条天皇となる敦成親王と後朱雀天皇となる敦良親王が生まれました。
しかし、一条天皇は定子との間に生まれた敦康親王を次の天皇に望んでいました。
一条天皇の秘書官であった藤原行成は、天皇が死の直前に敦康親王を推す意向を伝えたが、行成は道長の孫である敦成親王を次期東宮に推す決定を伝えたと記しています。
彰子は一条天皇の意を尊重し、敦康親王を次期東宮に推したかったが、道長が敦成親王を後押ししたため、彰子は激怒し、道長を恨んだとされています。
彰子の側近であったまひろは、彰子と道長の関係の変化に気づき、彰子に問いかけました。
彰子は、一条天皇の意を尊重し、敦康親王を次期東宮に推したいと願っていたが、道長が敦成親王を後押ししたことに不満を持ち、父にそのことを伝えたが理解されなかったと述べました。
1012年、三条天皇は4歳の敦成親王を東宮に立て、道長は自らの娘、妍子を中宮にしました。これにより、彰子はさらに激怒し、二人の関係はさらに悪化しました。
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