朝ドラ「虎に翼」の第24週のネタバレあらすじについて、確定あらすじの内容を
お送りします。
24週タイトル「 女三人あれば身代が潰れる?」意味は⇓
娘を三人も持てば、嫁入り支度のために身代を潰すほどのお金がかかる。娘を嫁がせる際には多くの費用がかかり、娘が多いと親もたいへんな思いをすることをいう。
放送日(116〜120話)は9月9日(月)〜9月13日(金)
目次
24週確定ネタバレあらすじ
多岐川幸四郎(演:滝藤賢一)、癌の診断を受けて病院に入院することに。
彼は、少年犯罪に対する刑罰の強化についての社会的な要求に対し、懸念を抱いていることを、見舞いに来た寅子に打ち明けます。
時は1969年(昭和44年)、日本は学生運動の波に揺れていました。
その激動の中で、明律大学の学生である香子(演:ハ・ヨンス)と汐見圭(演:平埜生成)の娘、香が逮捕される事態に。
さらに遡ること1949年(昭和25年)、穂高重親(演:小林薫)が最高裁判所の判事を務めていた時代に起きた尊属殺人の事件。
暴力的な父親からの攻撃を受けた息子が反撃し、不慮の死を招いてしまいます。
当時は、親族の中でも特に尊重されるべき存在である「尊属」を殺害した場合、より重い刑罰が科される時代でした。
この「尊属殺を罰する法律」が、憲法が定める「法の下の平等」の原則に反するかどうかが問われた裁判。
15人の裁判官のうち、違憲と判断したのはわずか2人。そのうちの1人が穂高でした。
その後19年が経過し、山田轟法律事務所が尊属殺人の案件を扱うことに。
被告美位子の弁護を担当するのは、山田よね(演:土居志央梨)と轟太一(演:戸塚純貴)。
そして、尊属殺人の重罰規定に関する新たな案件が最高裁判所に持ち込まれることになります。
この法的な論争は、社会の正義と倫理についての深い問いを投げかけています。
24週レビュー 尊属殺人の案件は栃木実父殺人事件をモデルに
この週のエピソードは、法律ドラマの枠を超え、社会の深層に切り込む問題を扱っており、
特に寅子ちゃんのキャラクターが55歳という設定で、彼女の成熟した視点から物語が展開されます。
少年法の厳罰化、学生運動の激化、そして尊属殺人の重罰規定という、それぞれがドラマ一本を成立させうるほどのテーマが、絡み合いながら描かれています。
特に注目すべきは、よねさんと轟さんが担当する尊属殺人の重罰規定に関わる事件です。
この事件は、1968年に実際に起こった栃木実父殺人事件をモデルにしていると推測され、
29歳の女性が53歳の実父からの性的虐待に耐えかねて殺害に至ったという衝撃的な内容です。
美位子さんというキャラクターがこの事件の被告として描かれることで、ドラマはさらにリアリティを増しています。
穂高先生がかつて最高裁判事として尊属殺人の重罰規定の違憲を主張したエピソードも、物語に深みを加える要素となっています。
寅子ちゃんが穂高教授の無念をどのように受け止め、そしてよねさんと轟くんがどのような弁護を展開するのか、その法廷戦は注目してみてみたいところですね。
24週レビュー 刑法第200条が憲法に反するという判決
刑法の第200条に関する壁は、かつて日本の法律が、自分または配偶者の直系の親族を殺害した者に対して、最も厳しい刑罰を科していたことを指します。
具体的には、このような犯罪には死刑または無期懲役が適用されると規定されていました。
しかし、1973年4月4日には、この重罰規定が憲法に適合するか否かが最高裁判所で審議されることになります。
この歴史的な裁判において、最高裁判所は初めて憲法違反の可能性を検討する権限を行使し、結果として刑法第200条が憲法に反するという画期的な判決を下しました。
これにより、尊属殺害に対する法的な取り扱いに関する長年の議論に終止符が打たれたのです。
虎に翼24週以降ネタバレ:三淵乾太郎!星航一のモデル再婚と結婚式・死まで
1956年8月、41歳の嘉子さんは、最高裁調査官であった三淵乾太郎さんと再婚。乾太郎さんの父は初代最高裁長官の三淵忠彦さんでした。嘉子さんと乾太郎さんは、それぞれ連れ子がいる状況での再婚でしたが、二人の間柄は非常に良好だったと言われています。
仕事の都合で別居することもありましたが、それでも二人の関係は常に円満だったと伝えられています。
嘉子さんは新潟家庭裁判所長として新潟に赴任した後、浦和家庭裁判所長を務め、最終的には横浜家庭裁判所長として定年を迎えました。
三淵乾太郎:朝ドラ『虎に翼』の星航一のモデル
三淵乾太郎さんは、朝ドラ『虎に翼』の主人公・星航一の実在のモデルであり、日本の初代最高裁判所長官である三淵忠彦さんの息子で、自身も判事として活躍しました。
家系と背景
乾太郎さんは1906年(明治39年)12月に三淵家の長男として生まれました。祖父は江戸時代末期に会津藩の家老を務めていた萱野長修の弟・三淵隆衡で、家名が断絶させられたため隆衡が三淵姓を名乗るようになったと言われています。
家族とキャリア
乾太郎さんには3人の弟と1人の妹がいました。父親と同じ法曹界を選んだ乾太郎さんとは異なり、弟妹たちは経済界に強いつながりを持っています。乾太郎さんは東京帝国大学(現在の東京大学)法科の出身で、甲府地方裁判所所長や浦和地方裁判所所長などを務めました。
三淵乾太郎:人となりと功績
乾太郎さんは判事時代に数多くの事件に関わり、その中でも最も有名な事件は1949年に起きた小田原一家5人殺害事件です。この事件の公判は横浜地方裁判所小田原支部で行われ、乾太郎さんは死刑を言い渡しました。
三淵乾太郎と嘉子さん:虎に翼のモデル
朝ドラ『虎に翼』の主人公三淵乾太郎さんとヒロイン寅子のモデル嘉子さんは共に判事という職に就いていました。また、二人とも再婚時には伴侶に先立たれており、子供がいたという共通点がありました。その後、乾太郎さんと嘉子さんは結婚し、家庭内ではしばしばいさかいもあったようですが、夫婦仲はいたって円満だったといいます。
晩年
乾太郎さんは晩年を弁護士として過ごし、嘉子さんが退官すると二人で旅行に行くなど、仲睦まじい姿を見せていました。
しかし、晩年は体調を崩し、嘉子さんと入れ替わるように入院するような生活を送っていました。嘉子さんが息を引き取った翌年の1985年、後を追うように乾太郎さんもこの世を去りました。
最終回までネタバレ⇓⇓
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