2019年のNHK大河ドラマは『いだてん』です。
“いだてん(韋駄天)”は仏法の守護神で仏舎利を盗んだものを追いかけて取り返したほど走るのが早い神とされます。
この事から足の速い人のたとえとして用いられる様になっています。
今回は第15話のあらすじを紹介します。
<いだてん15話あらすじネタバレ>
四三は、実次と幾江からスヤとの見合いの席が設けられた経緯の説明を受けます。
スヤの重行は病弱でたったため、前年の夏に亡くなくなっていました。
幾江が重行に代わる池部家の跡継ぎを探しているところへ、実次が四三を養子に出すと申し出ていたのです。
池部家には、オリンピックへの渡航費を出してもらった恩があり、今は池部家から田畑も養子に入れば四三のものとなります。
しかしながら、四三は困惑していました。
養子縁組してから縁談が順番ではと言う四三は、スヤと祝言あげて庄屋の旦那になる事に何に不満があるのかと、幾江から問われて言葉に詰まります。
田畑と嫁は別ものだと四三が叫ぶと、スヤはこの縁談は水に流して欲しいと言って部屋を出ていってしまいます。
重行が死んでしまった後、寂しいひとり暮らしを始めた幾江は、実家に戻っていたスヤを偶然見かけて、自分はスヤが好きだからスヤと一緒に暮らしたいと思ったと言います。
スヤをもう一度嫁にもらうための養子縁組であって、縁談を断るなら養子縁組はしないと、幾江は話します。
家に帰って実次から、祝言が明後日だと言われた四三でしたが、ベルリンでの雪辱が最も重要で、卒業後に熊本で教員になることは出来ないと、自分の想いを語ります。
それに対し、教員の給料など知れているが池部家の養子になれば金の心配をせずに思う存分走る事ができる様になると、実次は意外な返答をします。
さらに、スヤの事が好きじゃないのかと問われて、四三は言葉に詰まってしまします。
その頃、池部家では幾江がスヤに四三の他に跡継ぎを探すと話をします。
しかし、スヤは首を振ります。
「私は四三さんがよかです。四三じゃなかったら…こん話はしまいです‼」
1914年(大正2年)春、四三は池部家の養子となり、スヤを嫁にもらいました。
祝言の夜、並んで床についた二人は話しをします。
四三は、雪辱を果たすまでは4年後のオリンピックが何より優先と言います。
スヤは、何はさておき幾江を大切にしたいと返します。
お互いに頑張ろうと言った四三は、次の日にはスヤを熊本に残して東京へ戻っていきます。
この頃、孝蔵は旅巡業で浜松の”勝鬨亭”と云う寄席に滞在していました。
孝蔵は、勝鬨亭で働いて”ちいちゃん”と呼ばれる娘に、気に入られます。
ある日、”ちいちゃん”のお酌で酒を飲みながら、孝蔵はお茶子の正治と云う少年に自分の高座の感想を求めます。
頑張っていると褒めるものの面白いとは言わない正治に怒っている孝蔵は、追い打ちをかけてきた小円朝と喧嘩になり、勝鬨亭から追い出されてしまいます。
東京では、体協の金銭問題の解決ばかりを優先する理事たちに苛立つ治五郎に、結婚の報告をできないでいる四三がいました。
そのまま春が過ぎ夏を迎えると、四三は”耐熱練習”と称し館山での高温日中下で帽子も被らずに、がむしゃらに走り続けると云う危険な練習を繰り返していました。
孝蔵は猛暑の中を万朝とふたりで旅をしています。
ある日、浜名湖にかかる弁天橋を渡ろうとしていると、褌姿の少年たちが歩いてきて、水に入り器用に泳ぎ始めます。
孝蔵は、その中に政治を見つけ声をかけますが、政治はひたすら真剣に泳ぎ続けていました。
秋が過ぎて冬になり、四三に東京高等師範学校の卒業の時期が近付いてきていました。
卒業生は、全国の中学校の教員につくのが通常でしたが、四三は教員にならずに、2年半の間はオリンピックに集中する事を決めていました。
それを手紙で知らされた池部家の幾江は、話しが違うと怒って金栗家に乗り込んできます。
しかも、養子縁組も縁談も破談にしてもらっても構わないとも書いてあったので、実次は平謝りするしかありませんでした。
官費での教育を受けておきながら教員にならないとはけしからんと永井も激怒します。
教員たちの前で東京でのトレーニングを続けると言う四三に、治五郎は靴を脱ぐように命じます。
治五郎は、四三のように血豆ばかりの不格好でみっともないこんな足では、学生の見本となって人の上には立てないといいます。
また、こんな足ではマラソン走者ぐらいにしかなれないと、治五郎は衣食住を体協が見るので存分に走れと四三を励ましたのでした。
「君はマラソンを極めて、わが国におけるプロフェッショナルのスポーツ選手第一号になりたまえ‼」
その後、スヤから手紙が届きます。
そこには、話しが違うと騒ぐ幾江を、四三がオリンピックの制覇を果たすまでの辛抱だと説き伏せていると書かれていました。
四三はスヤに返事を書きます。
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