ちむどんどんのモデル原作実話について!ヒロイン比嘉暢子の実在モデルは鶴見の沖縄タウン・出身者-沖縄料理店が元に!? オカズデザインの吉岡知子さんとは…横浜鶴見地区は、沖縄出身者への偏見に耐えて生き残った街で、街の紹介もします。ちむどんどん
は、2022年度前期放送のNHK朝ドラ第106作で、4月11日(月)から
放送がスタート。
沖縄の本土復帰50年を記念し、沖縄本島北部のやんばるを舞台としていて、沖縄
料理に夢を懸けるヒロインと強い絆で結ばれた4兄妹の「家族」と「ふるさと」の物語。
主人公・比嘉暢子を演じるのは、黒島結菜さんです。
(引用元:https://mobile.twitter.com/
『ちむどんどん』はオリジナル作品で、ヒロイン・比嘉暢子の実話モデルとなる特定の人物は明らかにされていません。
ただし脚本担当の羽原大介さんのメッセージや、ちむどんどんのテーマやあらすじ、
またNHKの制作意図を読んでいると、比嘉暢子というキャラクターは横浜鶴見に移り住んだ沖縄の方で、複数の人物をモデルとして料理人を実話として元にしてることが考えられます。
そこで今回は、その当時の沖縄返還後の沖縄出身者が鶴見地区に上京してきて、沖縄の料理店など作って、料理人としてコミュニティーを築き生活していった方の話の実話を元に作られていると考えられるので詳しく紹介していきます。
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目次
ちむどんどん モデル比嘉暢子の原作-実話・実在は鶴見の沖縄タウン・料理人が元!?
ちむどんどんの実話は沖縄料理人が元に?オカズデザインの吉岡知子さん
「ちむどんどん」のドラマのなかの料理監修をされているのが、オカズデザインという会社の吉岡秀治さんと奥様の知子さんです。
吉岡知子さんは大学卒業後、日本茶専門店に就職しますが、結婚を機に退職し、ご夫婦でオカズデザインを立ち上げました。
オカズデザインは前の朝ドラ「てっぱん」「半分、青い。」の料理監修をされてきました。
吉岡知子さんは今回「ちむどんどん」の料理監修をするにあたり、実際に沖縄に2度ほど足を運び、取材されたそうです。それをもとにできるだけ当時の食材を使っているとのことで、
ドラマには比嘉家の食卓などが出てきますが、当時は調味料なども少ないのでの、シンプルな味付けになっているそうです。そんな味付けが、暢子のその後の料理の原点になっていると考えたそうです。
ドラマには料理名やレシピのない料理も出てくるので、知子さんたちががオーダーに応じてレシピを作成。暢子もアイデア料理をたくさん作るので、そのレシピは知子さんによるものです。
ということで、鶴見地区の沖縄料理人も実話として参考にしているかもしれないですが、明らかにされておらず、暢子の実話モデルとして近いのは、今のところオカズデザインの吉岡知子さんの料理といえるのではないでしょうか?
NHK連続テレビ小説 ちむどんどんレシピブック ムック – 2022/5/27に発売されます。
暢子が子どものころからつけている「おいしいものノート」も公開。
ドラマの中で、暢子が自分の進路を決めるカギとなった「やんばるナポリタン」、フォンターナへの入店試験で合格を勝ち取った「パンチェッタ沖縄そば」、オーナー房子との「ペペロンチーノ対決」のときに作った「暢子のペペロンチーノ」「房子のペペロンチーノ」そして、お父ちゃんから教わった、手打ち麺の「沖縄そば」、
比嘉家の定番料理「ゴーヤーチャンプルー」「フーチャンプルー」「ソーミンチャンプルー」ほか、ドラマでみんなが食べている、おいしそうなあの料理がおうちで作れるそうです。ぜひ読んでみたいですね♪
比嘉暢子の実話モデル原作は1960年代の鶴見に住んでいた沖縄県出身者料理人の人々でつくった沖縄タウンが
ちむどんどんは沖縄県が1972年5月に沖縄県が日本の本土復帰を果たし、その
50周年を記念とした朝ドラです。
よって、黒島結菜さん演じる比嘉暢子は、沖縄県出身者で1972年前後に
横浜鶴見区に働きに出て来た人達か、すでに鶴見を生活の拠点として働いていた
人達の事を原作元に話が作られていくと考えられます。
もっとも20世紀初頭から、職を求めて鶴見で暮らし始めた沖縄県出身者は苦労の
連続だったようです。
故郷の沖縄で生計を立てようにも収入が安定しなかったり、鶴見で働き始めても
他の人が嫌がるような仕事に就かざるを得なかったりと、必ずしもハートフルな
歴史だったわけではありません。
そのため、ヒロインの比嘉暢子やそれを取り巻く人々は、無名の人々の生活の実話を
取材することによって出来上がったオリジナルキャラクターになるのではない
でしょうか。
東京で西洋料理のシェフとして働き始めた比嘉暢子が、どうして鶴見に住み始める
のかなどの詳しい経緯は、ドラマのストーリーが始まらなければわかりません。
しかし、暢子のように1970年前後に東京へ出てきた沖縄県出身者が、横浜市
鶴見区に多く住んでいたことについてはそれなりの理由があったようです。
・20世紀における沖縄県の主な産業は、サトウキビを中心とした農業でしたが、
農家の収入は安定していませんでした。
・横浜市鶴見区には日本有数の巨大工業地帯である京浜工業地帯が存在し、
人手を必要としていました。
・1900年代頃から一部の沖縄県出身者が鶴見に職を求めて移住し始めていましたが、
高度経済成長期にはその数が飛躍的に伸びていました。
・沖縄県出身者が自らビジネスを始めるためには、同じ土地にかたまって独自の
互助組織を作る必要がありました。
ちむどんどんのあらすじを読むと、ヒロイン・比嘉暢子は、後に東京で沖縄料理
を提供するお店を出すことになっています。
自ら東京にお店を出すとなると、ある程度まとまった額のお金が必要になります。
この出店計画には、比嘉暢子が鶴見で出会う人達が大きく関わってくることに
なるのではないでしょうか。
また、デイリーポータルZの記事を読んでいると、タイトルにあるように、鶴見
の沖縄タウンには一言では語りきれないほどの苦難の歴史があったそうです。
以下ではそのことについて、紹介したいと思います。
神奈川県横浜市の鶴見区~川崎市川崎区の辺りは、4万人規模で沖縄からの移民
を受け入れた地域です。
今でも当時移住してきた沖縄の人に加え、その二世や三世の人々が多数暮らして
いて、昔ながらの貴重な沖縄カルチャーや美味しい沖縄グルメが残る街となって
います。
しかし、ここはかつて日本にあった、沖縄出身者への偏見に耐えて生き残った
街だったのです。
「沖縄タウン」が残る鶴見へ
関東最大の沖縄タウンが残る鶴見は、約3万人もの沖縄からの移住者を受け入れた
地域です。
品川から京浜東北線に揺られていると到着する鶴見駅。
少し散策するだけですぐに沖縄関係のお店が見つかります。
しかし、沖縄の方がより多く住む街は、駅から南東に徒歩15分ほど、地名で言うと
仲通や潮田町辺りにある「沖縄タウン」と呼ばれる地域の中心、仲通商店街。
(引用元:https://www.sumaitoseikatsu.yokohama/archives/6050)
特に沖縄の人々が住む割合が高く、沖縄関連のお店が現在も点在する場所です。
1986年に誕生したおきなわ物産センターは特にゴーヤーなど、日持ちがしない
沖縄料理に欠かせない食材が充実していて、沖縄移住者に欠かせないお店と
なっています。
鶴見沖縄タウンに住む人の壮絶だった生活
当時の沖縄は貧困地域でした。
沖縄の方々の鶴見移住は1900年代から行われ、特に高度成長期の1960年代には
多くの移住者がやって来ました。
その結果、日本有数の沖縄人の集合居住地が鶴見には出来ていくことに。
しかし言語などの様々な問題で大多数の沖縄移民は、過酷な肉体労働に汗を
流すことになりました。
工場の廃液毒物などの危険物をタンクローリーで運ぶ作業など、3K(きつい・汚い
・危険)の仕事に就くことが多かったのです。
また沖縄人の三線もかつては禁じられていたため、楽しみも少なく、ひたすら
きつい労働に耐えていました。
そもそも、どうして沖縄の移住者は1ヶ所に集まったのでしょうか?
それは、みんなで集まらないと生きていけなかったからのようです。
鶴見地区では沖縄県人が戦後、自らが仕事を興していきながらも、銀行が相手に
してくれませんでした。
そのため、小口金融のための”モアイ“という沖縄独特の自給自足の組織が発展し、
自然と沖縄県人の人達が集まって住むようになったのでした。
差別に耐えた沖縄出身者・移住者たち
当時、沖縄人に対する差別は目に見えて存在し、「沖縄人お断り」という貼り紙を
出す店までありました。
1960年代まで、沖縄出身者は就職や進学、家を借りることさえも、差別や言葉
の問題などで難しかったのです。
そのため、沖縄の人々は1ヶ所に集まって、支え合って生き抜いたのでした。
命を丸ごといただくソウルフード
物産センターの奥には軽食が楽しめる「ゆうなの花」があります。
そこで楽しめる「ソーキそば(750円)」は豚のうまみが骨の髄まで染みわたるよう
なおいしさのスープが麺に絡み、実に美味しそうです。
(引用元:https://dhq3.obihimo.com/cafe/)
お肉も非常にやわらかく、軟骨まで無駄にすることなく、美味しくいただける。
“鳴き声以外はすべて食べる“と言われる沖縄の精神が宿った文字通りのソウル
フードです。
このお店のご主人によると、いま沖縄出身の一世は徐々に姿を消し、二世や三世
がこの街の中心になっている、とのことです。
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ここまでが、ちむどんどん モデル比嘉暢子の実在は鶴見の沖縄出身者-沖縄
料理店が原作元に!?沖縄出身者への偏見に耐えて生き残った街についての紹介
でした。
沖縄県の人々がかつて日本国内においても、過酷な労働や言語による差別を
受けていたなんて、驚きました。
そして、横浜の鶴見に沖縄タウンと呼ばれる場所があるのも知りませんでした。
NHKが放送するドラマは、時代考証や風俗考証にも力が入っているため、ちむ
どんどんに登場する人物で、片岡鶴太郎さん演じる沖縄県人会会長の平良三郎の
口から鶴見区と沖縄県出身者の歴史が語られるかもしれません。
比嘉暢子の実在モデルはいないようですが、この時代の風景を如実に表して
くれるのではないでしょうか。
ヒロインを演じる黒島結菜さんは、オーディションではなく、抜擢されたようです。
黒島さんは、沖縄出身ということもあり、その演技が楽しみなので、4月から
の放送がとても待ち遠しいですね。
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