今回は『どうする家康』28話のネタバレを解説していきます。
『どうする家康』28話は2023年7月23日放送です。前話⇒どうする家康ネタバレ27話【於愛への愛!明智光秀の失態
28話では安土城(あづちじょう)での宴の後、家康は大阪へ向かい人脈作りに動いたり、思わぬ人物との再会があります。
そして、信長の身にも変化が起きようとしていました。
『どうする家康』28話ネタバレ
それでは、『どうする家康』28話ネタバレを紹介していきましょう。
大阪・堺で人脈を広げる家康

織田信長が京都の宿所・本能寺(ほんのうじ)に着いた頃、家康は大阪・堺(さかい)で有力者たちと接触していました。
堺は、日本で指折りの貿易都市として盛んです。
家康は商人・津田宗及(つだ そうぎゅう)の屋敷で、信長の側近・松井友閑(まつい ゆうかん)とお茶を楽しんでいました。
津田宗及(つだ そうぎゅう)と松井友閑(まつい ゆうかん)は茶道の世界では巨匠と呼ばれています。
家康の家臣たちは、離れで家康たちの交流を見ていました。
有力商人らとのつながりができれば、人脈や資金、鉄砲などの武器が入手しやすくなります。
家康は次に今井宗久(いまい そうきゅう)と接触し、鉄砲の購入の目処をたてようとしていました。
お市の方と堺で再会

家康が家臣らと堺の街を歩いていると偶然、お市の方(おいちのかた)と会います。
お市の方(おいちのかた)の夫・浅井長政(あざい ながまさ)は信長より朝倉義景(あさくら よしかげ)らと手を組んだため自害に追い込まれました。
お市の方(おいちのかた)は家康が堺に滞在していると知り、もしかしたら会えるかもと街中を歩いていたようでした。
家康とお市の方(おいちのかた)は家康の宿所の寺で、近況を報告しあいました。
お市の方(おいちのかた)は織田信忠(おだ のぶただ)の居城・岐阜(ぎふ)城で暮らしていると言います。
お市の方(おいちのかた)は娘たちに世の中の様子を見せるために堺に来たと言いますが、本当は自身が遊ぶためと茶目っ気に笑って話しました。
10年ぶりの再会でしたが、お市の方(おいちのかた)はますます美しくなっていました。
家康が今後、正室を娶る気がないことを知ると、お市の方(おいちのかた)は少し寂しそうです。
「信長を恨んでいるのでは?」とお市の方(おいちのかた)は家康に尋ねますが、家康は否定します。
お市の方(おいちのかた)は兄・信長を恨んでいると言い、信長ほど周囲に憎まれている人物は他にいないだろうと話します。
信長が家康を排除しないのは、唯一の友人だからとお市の方(おいちのかた)は言いました。
家康はそのことが信じられずにいましたが、お市の方(おいちのかた)は信長の気持ちが伝わっていないと落胆します。
「周囲から恐れられ、愛されることもなく、家康には恨まれている」とお市の方(おいちのかた)は信長ほど孤独な人はいないと言います。
信長は討たれるなら、家康がいいと思っているのではと言い、お市の方(おいちのかた)は去っていきました。
家康は信長の心中をはかりかね、瀬名の形見を眺めていました。
織田信長の死

家康たちが信長と合流しようとしたとき、信長が本能寺で討たれたとの知らせが飛び込んできます。
伝達役の茶屋四郎次郎(ちゃや しろうじろう)も、情報の詳細が分かっていませんでした。
信長から接待役を解任された明智光秀(あけち みつひで)が、信長を討ったと言います。
加えて光秀は家康の命も狙っていて、命令が出ていると報告します。
家康に逃げるように言います。
安土城(あづちじょう)の宴の時のことで、光秀は家康を憎んでいました。
家康の命を狙う者のなかには、信長を討ったのは家康と思い込んでいる者もおり、周囲が敵だらけになっていたのです。
酒井忠次(さかい ただつぐ)は家康にどうするのか聞き、家康は伊賀(いが)を超えて三河に戻ると指示を出します。
武装した民衆たちに襲われながらも、敵を追い払いながら家康は走っていました。
楽しかった記憶はないはずなのに、逃げながら信長との記憶がよぎります。
しかし、今まで生き延びることができたのは信長の存在があったからです。
「皆で生き延びるぞ!死んではならぬ」と声を上げ、三河に向かったのでした。
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まとめ
『どうする家康』28話のネタバレを紹介してきました。
本能寺の変(ほんのうじのへん)が起きた日、家康は穴山梅雪(あなやま ばいせつ)と共に、信長と合流する予定でした。
先に京都に向かった本田忠勝(ほんだ ただかつ)が、大阪・枚方(ひらかた)あたりで茶屋四郎次郎(ちゃや しろうじろう)と遭遇し、信長が討たれたことを聞きます。
知らせを聞いた本田忠勝(ほんだ ただかつ)は、家康の元に引き返します。
信長の死を聞いた家康の心中はどうだったのでしょうか。
家康の反応には諸説あり、特に動じず丹羽長秀(にわ ながひで)と共に光秀を討つ準備をしていた説が1つ目です。
2つ目は追い詰められ京都・知恩院(ちおんいん)で自害すると言ったが、家臣たちに止められ逃げることを決心した説です。
信長が討たれたとき、家康は何を思ったのか興味深いところですね。
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