2019年のNHK大河ドラマは『いだてん』です。
“いだてん(韋駄天)”は仏法の守護神で仏舎利を盗んだものを追いかけて取り返したほど走るのが早い神とされます。
この事から足の速い人のたとえとして用いられる様になっています。
今回はいだてん第6話のあらすじネタバレを公式ガイドブックから紹介します。
いだてん6話あらすじ>
四三は予選会で壊れてしまった足袋への不満で辛作を怒らせてたことを反省していてそれを詫びるために播磨屋を訪れます。
いざとなると店の前で入るのを躊躇っている四三のところに常連客である清さんが現れて強引に辛作の前に連れていきました。
無礼を謝る四三の前に辛作は底の布が3枚重ねて縫い付けられた足袋を放り投げます。
「播磨屋の足袋のせいで負けたなんて言われちゃかなわねえからな」
予選会の1カ月後に嘉納治五郎は東京高等師範学校の校長室で永井、大用夫妻らを招いてオリンピック出場者を選ぶ会議を開いていました。
マラソンで優勝した四三と2位と3位の選手、短距離で優勝した弥彦ともう明石という選手の5人が妥当でと云う事になったのですが、滞在費を1カ月と想定すると選手だけで五千円以上になる遠征費用の問題で行き詰まるのでした。
治五郎は、予選会の金栗四三の世界記録は誤測ではないかとの噂もたっており、何としてもオリンピックで日本人の実力を見せつけて汚名を返上しなければならないと主張します。
そして最後に、選手は四三と弥彦のふたりとし、裕福な三島家の弥彦は自費で四三の渡航費と滞在費をなんとか工面することにすることを決断するのでした。
ところがオリンピックのことをまったく知らない四三に治五郎がそれを伝えると四三は国を背負って走って負けたら切腹させられるのは許して欲しいと頑なに断るのでした。
さらに弥彦も帝国大学の卒業の年であることと、文部省より国費で勉強させている学生をひと月も海外で遊ばせることは許されないと釘をさされていたので、オリンピックには出ないと断言するのでした。
さらに治五郎に追い打ちをかけるような出来事がおこります。
清国で皇帝の溥儀が退位すると、1911年(明治45年)、中国で辛亥革命が勃発し孫文率いる革命派が南京を首都とする中華民国を建国したのです。
その結果で清国からの援助が絶たれた留学生が帰国しようとします。
治五郎は留学生に金のことは心配でずに勉学に打ち込めと諭し、さらなる多額の借金を負ってしまうのでした。
その後、オリンピック出場を断った四三は予選会の優勝カップを返却しようと校長室に治五郎を訪ねました。
しかし、そこで治五郎よりオリンピックに参加する意義と日本でのスポーツ振興について熱く語りかけられた四三は説き伏せられてしまうのでした。
その後、治五郎は国費での参加ではなく自費での参加なら国を背負うという重い気持ちも軽くできるのではとおずおずと提案するのでした。
戻ってからおおよその渡航費と滞在費を試算した四三はその金額に驚愕します。
そんな四三は長兄実次の逆鱗に触れるのを恐れつつ1年振りに手紙をだします。
オリンピックの予選会とは知らず参加した予選会で優勝してしまったこと。
治五郎に言いくるめられオリンピック参加を約束してしまい千八百円と云う大金が必用になってしまったこと。
何としても大任をまっとうしたいのでどうか工面して欲しいと書いたのでした。
その頃、橘家円喬に弟子入りした孝蔵は人力車に師匠をのせて東京の街で人力車を引きつづけていました。
ある日、円喬は孝蔵にからどんな噺が好き訪ねたかと思うと、『富久』を語り始めます。
稽古をつけてくれるかと喜んだ孝蔵でしたが、円喬は噺をやめてしまします。
そして孝蔵は円喬から噺は耳から覚えるだけでは駄目で脚で覚えるんだと言われ、何のために来る日も来る日も日本橋と浅草を言ったり来たりしているのか問われます。
言われた時には何のことか理解できなかった四三はやがて師匠の意図を理解します。
実際に噺にでてくる場所に行ってみなければ落語の中の人物の気持ちは分からないということでした。
円喬が孝蔵に人力車を引かせ続けたわけがそこにありました。
孝蔵は車の上で稽古する円喬の話を少しでも長く聞こうと、わざと道に迷ったりゆっくり走ったりを繰り返して背中で師匠の芸を学んでいきます。
四三は足袋の修理に立ち寄った播磨屋で、辛作からオリンピックでのコースと道とよく似たところでの練習を勧められ、たまたま居合わせた清さんもそれに賛同します。
四三は前に舎監の永井からストックホルムが水の都で石畳があると聞いていたことを思い出します。
それを聞いた清さんは、東京高等師範学校の寄宿舎があるお茶の水を通って浅草に向かい、そこから蔵前方面に行って日本橋へ抜けて芝へのコースを考え出してくれます。
以降、四三は清さんから教えてもらったコースを毎日走り続けます。
一方、幸三も相変わらず師匠の円喬を乗せて浅草、上野、日本橋の寄席を回り続けています。
ふたりは時を同じにした東京の地で、それぞれの熱い想いを持ちながら走り続けていたのでした。
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