べっぴんさん 実在モデル 坂野兼通についてネタバレします。
ネタバレで、朝ドラ『べっぴんさん』では、田中紀夫の父ということで、
その父である五郎の実在モデルは、坂野通夫の父 兼通ということになります。
しかし、実在の坂野兼通はべっぴんさんで描かれるような田中五郎と異なり、
貴族院議員を務めるような政界の重鎮ではありませんでした。
では、べっぴんさん 田中五郎の実在モデル 坂野兼通とは
どんな人物だったのか、ネタバレします。
坂野兼通は、1864年(文久3年)の12月12日に、現在の愛知県名古屋市で、
尾張藩士、坂野信一郎の長男として生まれました。
坂野兼通の父 坂野信一郎は明治2年(1869年)9月に亡くなり、
坂野兼通は7歳で坂野家の家督を相続することになります。
幼い頃から優秀だった坂野兼通は、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を
卒業すると、三菱合資銀行部(現在の三菱東京UFJ銀行)に入社します。
坂野兼通は、とても穏やかで人に好かれる性格だったため、
上司にも好まれて出世し、全国のいくつかの支店で支店長を務めました。
そして、その後、三菱合資銀行部の支店の中で最も重要な
大阪支店長を任されるようになりました。
山口銀行(こちらも現在の三菱東京UFJ銀行)は、
大阪の山口財閥の個人銀行で、山口財閥の第百四十八国立銀行の
受け皿として明治31年(1898年)に設立されました。
坂野兼通は、1910年(明治43年)三菱合資での銀行業務の経験と
これまでの実績が買われ、山口銀行理事を経て常務を歴任します。
銀行経営の近代化と発展に貢献した銀行界の重鎮の一人だったのです。
ここまでが、べっぴんさんで田中紀夫の父である田中五郎の実在モデル
坂野兼通のネタバレでした。
ネタバレにあるように、べっぴんさんの田中五郎と、実在モデル 坂野兼通は
大分異なった人生を歩んでいるようですね。
そこはやはり、ドラマにする上でのフィクションなのでしょう。
ちなみに、ヒロインの父である実在モデルの佐々木八十八が
後半生に政界に進出し、戦後になって貴族院が廃止されるまで、
貴族院議員として働いていたようです。
そのため、もしかしたら、べっぴんさん 田中五郎は
佐々木八十八の半生をモチーフにしたのかもしれませんね。
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