今回は『ちむどんどん』の最終回125話(25週)9月30日金曜日放送後の詳細あらすじネタバレについて紹介します。
【歌子も元気になってハッピーエンド】と題して最終回となる25週125話をお送りします。
比嘉家では40年の月日が流れていました。
そこでは誰一人欠けることなく、新たな家族も加わって優子の誕生日パーティーが開かれていました。
<ちむどんどん 最終回25週125話のあらすじネタバレ>
病院に入院している歌子の高熱は、下がる兆しさえ見せずに生死を彷徨っていました。
長男の賢秀も千葉から駆け付けるなか、母親の優子だけは歌子は強い子だから大丈夫だと気丈に振舞います。
すると暢子が賢秀と良子を誘ってタクシーで父親である賢三が墓がある浜に向かいます。
そしてタクシーを乗り捨てて海に受かって、歌子を助けて欲しいと大声を上げて叫んだ比嘉家の子供たち。
そのとき暢子には、見ているから大丈夫と言う賢三の声が聞えてきたのでした。
その頃、病院では一瞬だけ歌子が薄ら目を空けて、父親を呼んだかと思うとまた目を閉じていたのです。
それから、40年の月日が流れて令和の時代を迎えた比嘉家では、すっかり年老いた優子の誕生日パーティーが開かれていました
『やんばるちむどんどん』では少し白髪が目立つようになっていた暢子が相変わらず、大好きな料理をつくっていました。
そこには、比嘉家の子供たちが結婚して生まれてきた孫たちの姿もあります。
やがて皆が“ハッピバースディ”を歌い始めたとき、暢子には仏壇の前で一緒に歌う賢三の姿が見えます。
そして、父親の賢三がいつも自分たちを見守ってくれていることを感じたのでした。
清江と結婚した長男の賢秀は、猪野養豚で地道に働き続けたことで、かつて自分が家族に迷惑かけた借金を倍にして返済し終えていました。
そして、賢秀の孫は『スーパーバンド』ならぬ『コスモバンド』を頭につけて“一番星になる”と息巻きます。
長女の良子は夫婦そろって校長まで務め上げていて、念願だった海外旅行も銀婚式で出かけていました。
良子たちの孫娘も、また幼い頃の良子にそっくりです。
40年前に瀕死の状態になっていた歌子は、奇跡的に回復して最近10年は風邪ひとつひかない健康な身体になり、智を手伝う傍らで民謡歌手としてレコードをだしたり、唄三線の講師などをしたりしていました。
そんな歌子たちの娘は、かつての歌子に瓜二つだったのです。
和彦は民俗分野で功績を称えられていて、沖縄の文化を発信し続けていました。
そして暢子は『やんばるちむどんどん』で大好きな料理三昧の日々を送っていました。
そして結婚した健彦には、幼い頃の暢子にそっくりな未来が生まれていて、“世界一のパティシエ”になると息巻いていたのです。
優子の誕生日パーティーでは、和彦が三線を奏で始めると歌子がそれに合わせて歌います。
するとそこにいたすべての人が一斉に踊り出したのでした。
<最終回25週125話を見た視聴者の感想>
最後の最後にタクシーの運転手として出演したゴリさんに新旧の駄目兄ちゃんの共演だと多くの声が寄せられました。
また成長した健彦を演じた西銘駿さんも“タケル殿”として多くの注目をあつめます。
ただ最後まで、歌子の病気をうやむやのままにしたり無賃乗車したりと疑問の声が多く上がってしまったのは残念です。
・優子さんは流石に…と思ってたからご存命で良かったよ!100歳近いでしょ!
・(前略)家族みんながお子さんと孫と…(子供も孫も複数いて、しかも全員で沖縄に来る)っていうのはどこか浮世離れした感があるかなぁ…とは思うけど、、(後略)
※ツイッターより引用
<最終回25週125話の感想>
またまた最終回に40年もワープしてしまいましたね。
しかも、40年前の出来事の結末が何も明かされないままで飛んでしまったので話がつながりにくく感じてしまいました。
その後の『アッラ・フォンターナ』はどうなったんでしょう。
歌子の病気は何だったんでしょう。
どうして元気になったのかが神がかり的に感じてしまいました。
とにもかくにもハッピーエンドで終われて良かったですね。
前話124話:また熱を出して倒れてしまった歌子
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