2019年のNHK大河ドラマは『いだてん』
です。
“いだてん(韋駄天)”は仏法の守護神で仏舎利を盗んだものを追いかけて取り返したほど走るのが早い神とされます。この事から足の速い人のたとえとして用いられる様になっています。
今回は第9話のあらすじを紹介します。
<いだてん9話あらすじ>
四三ストックホルムへ出発
四三と弥彦は8000kmの彼方にあるストックホルムに向けの17日に渡る長旅に出発しました。
車内に治五郎が居なくて動揺していた四三はどうして同じ列車に乗っていないのかを大森に尋ねます。
大森は治五郎が管員で国家の役人だから長期海外出張の手続きが煩雑で出発までに完了できていなかった分かったことが判明したとの事でした。
手続が終わり次第、追いかけてくる手筈としており乗船する敦賀につくまで可児が代りに同行する旨の説明を受けます。
四三と弥彦のことは広く伝わっており敦賀に向かう列車が停車する駅々で多くの人々から応援を受け、中には窓越しに贈り物を渡すものもいました。
四三は気持ちが高ぶってなかなか寝付けない寝台列車で、”盲目旅行~国際オリンピック競技参加之記”と名付けた日記を付け始めるのでした。
翌朝、敦賀に到着した一行のもとに治五郎は現れません。
治五郎がいないまま四三、弥彦、大森夫妻は可児の見送りを受けウラジオストク向けの船に乗り込みます。
列車での移動の旅が始めると、大森は倹約するために食事は食堂車を利用せずに持参した食材や応援の人々からの野菜や味噌があり自炊すると言い出します。
しかしながら大森が食堂で一緒に飲もうとドイツ人に誘われ自炊はいきなり計画倒れになってしまします。
メニューをみて値段の高さに驚かされていた四三たちをよそに大森はドイツ人の飲食代までもってしまうのでした。
浅草を出発して4日後に列車は3年前に伊藤博文が暗殺されたハルピンに到着します。
四三と弥彦は一旦列車を降りて市内に向かうが、ロシアと中国と日本の間での覇権争の最中でありロシア弊や中国兵がうろうろしていたので早めに用事を済ませて戻ることにします。
その日、四三は弥彦に日記を読まれていることを知りますが、弥彦は悪びれる様子もなく恋人の事とか絵葉書の宛先などを聞いてくるのでした。
その頃、日本では足止めをくらった治五郎が文部省の窓口でいつまでかかっているのかと詰め寄っていました。
孝蔵が円喬の弟子として認められる
一方、同じ東京で孝蔵は相変わらず円喬師匠を車に乗せ寄席まで走っていました。
円喬を乗せるようになって半年が経とうとしていたある日、円喬は車を降りると初めて孝蔵にわずかな給金を渡し、孝蔵を楽屋口まで連れて行くと高座名を与えたのでした。
「ちょうた、今日からお前さん、三遊亭朝太だよ。明日っから来な、車はいいからね、手ぶらで来な」
孝蔵は喜びを噛みしめながら清さんに人力車を返しにいくのでした。
ストックホルムのオリンピックスタジアムにようやく到着
出発から10日も経つと旅も疲れもあり四三は日本人が西洋人に合わせることに疑問を持ち始め大森の英語交じりの話し方や西洋風の振る舞いを不愉快に感じていた。
四三は大森に何故監督を引き受けたのかを尋ねるのでした。
大森は経済を学ぶために渡米したけれど、西洋人の肉体の強靭さに驚かされたことでYMCAトレーニングセンターに移ったいと言います。
バスケットボールもバレーボールも大森が日本へ持ち込んでしました。
アメリカで画家をしていた安仁子のギャラリーハウスボーイをしたことで出会い、大恋愛の末に日本に連れて帰ったと話しながら、大森は何度も席をするのでした。
弥彦は四三にモスクワについたら頻繁に咳き込む大森を医者に診せた方が良いのではと相談した。
弥彦の心配は的中していました。
実は治五郎から監督の打診を受けた大森は安仁子とともに治五郎を訪ねていました。
大森は自分が胸を患わっていることを打ち明けます。
でも安仁子は兵蔵の芳しくないが何としてもオリンピックに行かせてやりたい。
絶対に選手たちに迷惑をかけないことを約束しストックホルム行きを懇願しました。
治五郎は大森が書いた『オリンピック式陸上競技方法』と云う論文の内容に大森の熱意を感じ監督を大森とし安仁子を同行させることに決めたのでした。
5月28日、大森の体調が回復しないので安仁子は自炊の中止を申し出ます。
四三は治五郎は来ないし監督も体調を崩している状況で大丈夫なのかと不安を弥彦にぶつけます。
弥彦はそんな四三を食堂車に誘います。
弥彦は今日は予算を気にせずに食べようと提案しながら、走るのは自分達なんだから臆することなく練習の成果を見せてやろう言います。
ふたりはワインを飲みながら互いの健闘を誓い合います。
一行はセントピータスバークから船に乗ってストックホルムに向かいます。
東京を発って17日目の6月2日、船はストックホルムに到着し、一行は港に降り立ったのでした。
港には日本大使館の内田公使が出迎えてくれてホテルまで案内してくれる。
ホテルについてから、四三は弥彦とともに8時過なのに白夜で昼間の様に明るい夜のストックホルム街をオリンピックスタジアムに向かいます。
四三は目の前の巨大なスタジアムと広大なトラックを見て闘志をみなぎらせるのでした。
スポンサード