2019年のNHK大河ドラマは『いだてん』です。
“いだてん(韋駄天)”は仏法の守護神で仏舎利を盗んだものを追いかけて取り返したほど走るのが早い神とされます。
この事から足の速い人のたとえとして用いられる様になっています。
今回は2019年5月5日 放送の第17話のあらすじネタバレを紹介します。
<いだてん17話あらすじネタバレ>
四三は、東京高等師範学校の校長室で、欧州での戦争長期化によりベルリンオリンピックが無期延期になったことを、治五郎から聞かされると言葉をなくし、それ以降は下宿に閉じこもってしまうのでした。
野口や橋本が心配して下宿にやってきてくれて、呼びかけても四三は返事さえしませんでした。
そのうちに、播磨屋の店内には、辛作、野口、橋本、清さん、シマに福田と徳三宝まで加わります。
徳三宝が四三の部屋の襖に体当たりし、すかさず清さんが部屋に入り込むと、虚空を見つめる四三の姿がありました。
清さんに、気晴らしに走ろうと表へと連れ出されそうになっていると、四三は不意に桶の水をひっかけられます。
そこには、新聞でオリンピックの中止を知って上京してきたスヤがいました。
四三は、きつい練習をした夜はスヤの夢をみたが、あと1年の辛抱と言い聞かせてきたのに悔しいと、スヤに胸の内を語ります。
四三は足袋をはいて、辛作から自転車を借りたスヤと表に出て、スヤの伴走でふたりは走り続けます。
この日、スヤは四三の部屋に泊まります。
四三は、前に追い返した事を詫び、これからは来て欲しい頼みます。
でも、先の事を考える必要があると云う四三の想いは、夫婦の将来ではなくマラソン界の未来でした。
自分が走れなくなったら、誰が後を引き継ぐのかと熱弁する四三に、スヤは呆れていいます。
「金栗四三が50人おったらよかばってんね」
翌日、四三は治五郎を訪ね、指導者になるために教職に就くことを伝えます。
四三は、昨晩のスヤの言葉から、50人いたら東京から大阪でも走ることができると治五郎に熱く語ります。
それを聞いて治五郎は、マラソンは40キロメートルをひとりで走る孤独な競技だが、団体競技とすれば助け合い励まし合うことが出来ると熱くなるのでした。
四三は、教員になって東京から大阪までを走破する50人を育てると云う、オリンピックに代わる新たな目標を見つけるのでした。
1916年(大正5年)、四三は神奈川師範の教員となり、地理を教える傍らで辛作と練習法や足袋の改良に励む毎日を始めるのでした。
東京女子高等師範学校の生徒になったシマが仕事を続けているミルクホールで、四三と治五郎は東京と大阪間でのレースの話しをしていると、不意にそばの客から声をかけられます。
「京都じゃダメですよね?」
そう尋ねたのは大村と云う読売新聞社の記者でした。
京都から東京への遷都50周年協賛運動行事を考えていた大村と土岐は、四三と治五郎の話しに耳をそばたてていたのです。
この後で浅草で運動部のご意見番と会うと云うふたりに、治五郎は一緒にいくと言い出します。
ご意見番とは天狗倶楽部のヤジ将軍と言われた吉岡信敬で、待ち合わせ場所の凌雲閣の展望台でまっていました。
眼下の景色をみながら土岐は、東海道五十三次を辿るレースを提案します。
治五郎は土岐に賛同する一方で、西側に見える森を見つめながら、いつかそこにオリンピックのためのスタジアムを作る夢を語るのです。
四三は体協の会合に、吉岡、土岐、大村を招いて、東海道五十三次レースの説明をします。
読売新聞社の主催ならと云うことで話はまとまり、画期的なレースに相応しい名前を付けようと云う事になります。
武田から、東海道五十三次の宿場をつなぐ、つまり”駅”を”伝”って走る『駅伝』と云う提案
が出され、皆が賛同するのでした。
東海道五十三次駅伝開催を新聞で知ったシマは、女子も参加できないかと考えトクヨに相談しますが、取り合ってもらえませんでした。
この話を聞いて、マラソンの魅力が世間的に伝わっていないことに憤っていた四三に、吉岡がマラソンの指南本の執筆を勧め、治五郎もこれに賛同します。
四三は、この年『ランニング』と云う本を出版するのでした。
1917年(大正6年)4月27日、東海道五十三次駅伝が開催されます。
参加は関東軍と中部軍の2チームで、関西軍は選手が集まらず直前に出場をキャンセルしました。
午後2時に京都三条大橋からトップランナーが肩にタスキをかけてスタートします。
バトンを持って長距離を走るのは辛いと思っていた四三は、スヤが掃除するする姿からタスキをつなぐことを思いついていたのです。
関東軍の13区の選手がアキレス腱を切って棄権したので、14区の選手が2区分走るアクシデントを乗り越え、選手たちは懸命にタスキをつなぎます。
四三は関東軍の最終ランナーとして、京都でのスタートから44時間後に川崎を出発しました。
四三が日本橋に着く頃には、道に溢れんばかりの大観衆が集まっていて、多くの人達が四三と一緒に走るのでした。
スヤも観衆の中から必死に四三に呼びかけます。
東海道五十三次駅伝は関東軍の圧勝で、日本で初めての駅伝は大成功をおさめたのでした。
その後、熊本に戻ったスヤは妊娠している事がわかります」。
大喜びの幾江が金栗家にやってきて言います。
「子供授かったら、さすがのマラソン馬鹿も帰ってくるばい、こっで池部ん家は安泰じゃ‼」
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