第101作目となるNHKの連続テレビ小説の『スカーレット』が2019年9月30日から放送開始されます。
スカーレットは著名な信楽焼陶芸家の神山清子さんの半生を描いたドラマです。
このドラマには鴨居羊子さんをモデルにした荒木さだが登場します。
今回は、羽野晶紀さんが演じる荒木さだについて紹介します。
<鴨居羊子さんの生誕>
1925年2月12日生まれ
大阪府豊中市で誕生
父親はジャーナリストの鴨居悠
<鴨居羊子さんの半生>
父親の影響もあって25歳で新聞記者になりますが、それまでは芸術家を目指していました。
しかし、何かを創造したいとして新聞記者を辞めていまい、アンダーウエアのデザイナーを目指したのでした。
鴨居羊子さんは、洋裁が得意とかアンダーウエアのことに詳しかったわけでもなく、まったく知らない業界でした。
その理由は、日本の女性のアンダーウエアは他の衣類に較べて遅れていると感じたのだと様です。
「私は洋裁学校にも行ったことがないし、裁断も縫うこともしらない。」
「それなのに下着をつくろうというのは、ずいぶん心臓のつよい話だった‼」
「私は縫うことはしらないが、造形の勉強をしていた。」
「そしてなまじ裁断をしたない方が、それらの法則や習慣をとびこえて不可能なことにいどんでみることに勇気がわいてくるだろうと思った」
「それにしばられるより、知らぬことを利用して思いきり自由な法則をつくりだそう」
鴨居羊子さんは『下着ぶんか論』で当時の気持をこのように書き残しています。
戦後の復興と共に女性の衣類の洋装化は進みますが、アンダーウエアは形も色も旧態依然としていました。
そんな時代に鴨居羊子さんは3万円の退職金を元にアンダーウエアのデザイン制作会社「チュニック」を設立しました。
羊子はアンダーに斬新な色や柄を取り入れ、レースや刺繍などを多用したアンダーウエアを世の中に送りだします。
また、体型補正用のアンダーウエアもリリースしていったのです。
しかも、それまでは考えも及ばないアンダーウエアの個展やショウまで開いたのでした。
しかし、当然のことながら、戦後の日本に受け入れられるはずもなく、非難されてしまうのでした。
羊子は当時の状況を書き残しています。
「着は白色にかぎる…ときめこんだり、ひと目につかぬようにと思ったり、チャームな下着は背徳的だと考えたり、とかく清教徒的な見方が今までの下着を支配してきたようです。」
「私はこうした考え方に抵抗しながら、情緒的で機能的なデザイン、合理的カッティング…などをテーマに制作してみました」
また、下着を創造するかたわらで、様々なものに好奇心を示します羊子。
フラメンコ、美味しいものづくり、野良犬や野良猫の保護などなど、、、
さらに、世界各国を旅行するなど自由奔放に生きていったのです。
羊子の弟は画家の鴨居玲であったことで、絵を描く才能にも恵まれて、個展まで開いたのでした。
そんな、鴨居羊子は、”人間として自分らしく生きるを実践した女性”とか
“日本の女性の下着に革命を起こした女性”とか”下着を通じて女性解放運動を進めた人”などと称されています。
その後、デザイナーや画家以外にも執筆活動にも取りくみ、多くのエッセイなどを残しています。
鴨居羊子さんは1991年に66年の生涯の幕を下ろしています。
<荒木さだの役どころ>
荒木さだは、進歩的な一面とお嬢様育ちの側面を併せ持つ女性です。
彼女は、戦後の女性のファンションは変化することに目をつけて、他の人が着目していないブラジャーなどの女性下着のデザインを手掛けるようになります。
その一方で、大阪市内の自宅を改装して”荒木荘”と云う下宿を始めます。
やがて、親戚の喜美子も女中として働くことになるのでした。
<羽野晶紀さんのプロフィール>
[誕生日]
1968年8月22日
[出身地]
京都府宇治市
[所属事務所]
リコモーション⇒東宝芸能
[主なテレビ出演作品]
愛はどうだ(1992年)、帰ってきたOL三人旅シリーズ(1993年)、生保レディ刑事(1998年)、十時半睡事件帖(1994年)、裸の大将69 清のデカンショ節 (1994年)、恋も2度目なら(1995年)、奇跡のロマンス(1996年)、京都警備士日誌(1997年) 、
弁護士・高林鮎子27(2000年)、そして誰かいなくなった(1997年)、食卓から愛をこめて(1998年)、元禄繚乱(1999年) 、真夏のクリスマス(2000年)
[主な映画出演作品]
モスラ(1961年)、モスラ2 海底の大決戦(1997年)、モスラ3 キングギドラ来襲(1998年)、ミナミの帝王(2006年)、ユキエ(1998年)、スープ〜生まれ変わりの物語〜(2012年)、円卓 こっこ、ひと夏のイマジン(2014年)
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