エールネタバレ24週モデルからの内容です。
2020年前期の朝ドラは、激動の昭和を生きた作曲家と、その妻の半生を
描いた『エール』です。
朝ドラ第102作目となるエールは、2020年3月30日(月)から放送がスタートし、途中コロナでの中断もあり、全120話 24週までになってます。
今回の記事はエール24週最終週のあらすじネタバレ最終回までの流れになってます⇓⇓
エールネタバレ24週(最終週)あらすじ最終回まで
表舞台での音楽活動から身をひいた音でしたが、昭和33年には『婦人文芸』に参加することになります。
幼い頃から続けてきた声楽とは異なる文芸とかかわりを持つようになった音は、同紙で委員をつとめるようになり詩や随筆などを寄稿したのでした。
そして詩の同人活動も始めた音は昭和44年には詩集『極光』を出版しました。
裕一はと言えば、並ぶものがいない作曲界の大御所としてさまざまな仕事を続けていました。
そんな裕一のもとに新たな仕事の依頼が入ってきます。
仕事の内容を聞かされて驚く裕一と音。
それは、東京オリンピックの開会式で流される行進曲を作曲して欲しいというものだったのです。
それはかつて携わったことのない大きな仕事で、敗戦からの日本の復興を世界に示す平和の祭典で自分が作った曲がつかわれることに感激すると同時に今までの音楽家人生を妻の音とともに振り返ったのでした。
さっそく全身全霊を打ち込んでの行進曲の作曲に入った裕一。
そんなある日、音は新宿でジョンウェイン主演の映画『史上最大の作戦』を鑑賞します。
そして映画の中で流れていた主題歌である『史上最大の作戦マーチ』に感銘を受けた音は、帰宅するとすぐに自宅で留守番をしていた裕一にその感動を伝えます。
音から『史上最大の作戦マーチ』が素晴らしい曲だと伝えられた裕一は『オリンピックマーチ』も大丈夫だと答えるのでした。
ところがイメージが湧かずになかなか五線譜に音符を書き込めない裕一。
大きなプレッシャーに押しつぶされそうになって作曲ができなくて悩んでいるときに、音が家事をしながら歌を口ずさんでいる声が聞えます。
『さくら』を気持ちよさそうに音が歌っているのを聞いているうちに、裕一の脳裏には俄かにオリンピックでの行進曲のイメージが湧きあがってきたのです。
五線譜に向かって『オリンピックマーチ』を一気に書き上げた裕一。
昭和39年10月10日。
東京オリンピック開会式が始まろうとしていました。
そこには緊張のあまり観客席に入る事ができない裕一がいました。
その傍らには妻の音が夫に向かって大丈夫だと励ましていたのでした。
しばらくして、裕一の心配を打ち払うように『オリンピックマーチ』がスタジアムで高らかに響き渡り、世界中の人たちの耳に届けられたのでした。
東京オリンピックの開会式での行進曲の作曲と云う一世一代の大仕事をやり遂げた裕一はその後も精力的に活動しつづけます。
そして、今度は昭和47年に開催された冬季の札幌オリンピック賛歌である『純白の大地』も手掛けたのでした。
さらに札幌オリンピックの開催と同時期に始まった萩本欽一が司会を務めた『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員を10年以上に渡り務め上げた裕一。
しかし、妻の音は昭和51年に乳がんであることがわかり、2度の手術を経て闘病生活に入ってしまいます。
そんな中で、裕一は『栄冠は君に輝く』の制定30周年記念の夏の甲子園開会式に招待されます。
しかも運命の女神は裕一の目の前で母校の福島商業高校が記念すべき甲子園初勝利を勝ち取ったのです。
そして古山裕一は昭和54年に福島市名誉市民第一号に選出されたのでした。
▼実在モデルさんの24週までの流れ、それ以降はどうなっかやお二人の最後 亡くなり方まで書いて下の記事でまとめてます。ぜひ読んでみて下さい⇓(^^♪
≫エールネタバレ25週モデルから【甲子園曲:栄冠は君に輝く-ラジオドラマ君の名は
≫エールネタバレ26週モデルから【音と裕一の死!死因は乳がんと脳梗塞
朝ドラ『エール』ネタバレ24週モデルから
エールは数々の名曲を生み出した作曲家・小関裕而さんと妻の金子さんを実在
モデルにした夫婦の波瀾万丈物語です。
今回は朝ドラ『エール』ネタバレ24週について、古関裕而さんと金子さんの史実
をもとにしながら、古関裕而さんの史実は主人公の古山裕一に、金子さんの
史実はヒロイン・関内(古山)音として紹介したいと思います。
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戦争で日本が大旋回していくのですが、裕一には自分の生き方がありました。
終戦の翌年である昭和21年(1946年)に、長男の正裕が誕生します。
妻の音もすっかり腸チフスから回復し、夫の音楽活動とともに歩んでいきます。
そんな裕一の記憶にある生活は、あまりに生々しい敗戦の情景でした。
例えば、職場のラジオ局入り口には、米兵が立っていて、トイレも米兵と日本人
では別の階で分けられていたり、闇市で買ってきた食料を仕事場で調理し、
空腹をしのいでいましたが、米兵はこの悪臭を嫌がり、くさやを焼きすぎた
結果、焼き魚禁止令が出されてしまいました。
また、休息のために向かった温泉旅館でも、米兵がくつろいでいるため、米兵の
入浴時間を避けて、朝の四時に入るしかなかったり、闇市を歩くと、義手や義足
の傷痍軍人がアコーディオンで悲しげな音楽を奏で、小銭を求めているという
なんとも生活実感がこもった敗戦の記録です。
そんな敗戦のあと、人々は明るい希望を
娯楽であるラジオドラマに求めます。
裕一のメロディは、戦争に向かう兵士の背を押すものから、人々を笑顔に変える
ものに変わりました。
彼のディスコグラフィーからも、平和の息吹が漂ってきます。
『白鳥の歌』(1947年)『夢淡き東京』(1947年)、『雨のオランダ坂』(1947年)、『フランチェスカの鐘』(1948年)、『長崎の鐘』(1949年)など、タイトルからして、変わったのです。
『長崎の鐘』は、あの戦争で起きた原爆の悲劇を記憶する歌として、発表されて
います。
彼のメロディを聞き、涙を流したという手紙も届きました。
音色が心を癒す時代がやって来ました。
昭和24年(1949年)に発表した『イヨマンテの夜』は、菊田一夫の歌詞には、
「メノコ」、「イヨマンテ」といったアイヌ語の単語が入っています。
同郷の友人である佐藤久志が、この曲を歌い上げました。
この曲は、アイヌの世界を取り入れたもので、戦争を経て、それまで皇民として
日本人になることを強要されたアイヌ民族にも、新たな息吹が芽生えました。
もっとも和人の裕一がテーマの1つとして選んでいるからと、解放されるわけで
はなく、解放されるまでには、もっと長い時間が必要とされました。
戦前から、菊田一夫と裕一はよく仕事を一緒にしてきました。
昭和12年(1937年)から、菊田が亡くなる昭和48年(1973年)までの36年間、2人は
仕事をともにして、作詞と作曲のゴールデンコンビとなっていました。
そんな2人は、ラジオドラマ『鐘のなる丘』の主題歌である『とんがり帽子』
(1947年)を手がけることになります。
孤児であった記憶のある菊田の詩に、裕一は感動を覚えながら、メロディを
つけていきました。
この孤児をテーマとしたドラマも、当時の日本の世相に関係がありました。
日本には当時、戦災孤児があふれていました。
2019年上半期の朝ドラ『なつぞら』のヒロイン・なつや兄の咲太郎達と同じ
境遇なのです。
浮浪児救済キャンペーンの一環として、『鐘のなる丘』は企画されたのでした。
脚本家として指名された菊田は、15分という放送枠を渋りましたが、断ることは
出来ません。
この企画は、アメリカのソープ・オペラのような番組として始められました。
かつて裕一を南方慰問団に送り込み、命の危険すら伴わせた放送協会の戦後は
NHKになります。
余談ですが、15分間のラジオドラマは、テレビになると朝の連続テレビ小説
(通称:朝ドラ)になっていきます。
その後も、『西遊記』や『さくらんぼ大将』など、菊田と裕一のラジオドラマは
続きます。
『西遊記』には、慰問団で一緒だった徳川夢声も参加しているのでした。
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ここまでが、朝ドラ『エール』ネタバレ24週モデルからについての紹介
でした。
朝ドラ エール24週モデルからのネタバレにあるように、戦後、裕一には待望の
男の子が産まれます。
そして、裕一の音楽は兵士の背中を押すような曲から、敗戦により荒んだ人々の
心を励ましたり、癒したりするような曲へと変わっていきました。
『長崎の鐘』や『イヨマンテの夜』は、エールにも登場するのではないでしょうか。
そして、菊田一夫さんとのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の放送が開始。
このラジオドラマが後の朝ドラになっていき、その朝ドラに古関裕而さんを
モデルにした『エール』が放送されているなんて、とても不思議な感じがします。
ただ、朝ドラの始まりの人なのだから、朝ドラの主役に起用されて当然なの
かもしれませんね。
何はともあれ、鐘の鳴る丘がどんな作品なのか、私は知らないので、朝ドラの
中で紹介してくれたら嬉しいです。
エール最終週まであと2週。
残りはどんな話が待っているのか、楽しみですね。
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