エール志村けんモデル小山田耕三・山田耕筰(こうさく)ネタバレ-愛人不倫問題

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『エール』は2020年3月30日から放送開始のNHKの102作目の朝ドラです。

今回は志村けんさんが演じたことで注目を集めた小山田耕三の紹介です。

 

小山田耕三のモデルは山田耕筰さんと言われています。

文化勲章を与えらた人でしたが、愛人-不倫問題が絶えなかったそうです(;’∀’)

<小山田耕三役の志村けんさんのモデル:山田耕筰のプロフィール>

 

[生年月日・死没年月日]

 

1886年6月9日 誕生~ 1965年12月29日死没(79歳没)

 

[出身]

 

東京府東京市本郷(東京都文京区)

 

志村けんさんのモデル:山田耕筰の[生涯]

 

板倉藩御殿医の息子で医師だった父親の謙造はキリスト教伝道者で、母親のひさは板倉藩の加藤家に嫁いだが後家となり里戻りして謙造と再婚しました。

 

しかし、耕筰が10歳の時に父親を他界してしまいます。

 

その後、巣鴨宮下にあった自営館(日本基督教団巣鴨教会)に入れられた耕筰は13歳まで苦学させられます。

 

そして長姉の恒子を頼って岡山に移り養忠学校に入学し翌年に関西学院中学部に転校。

 

岡山に移った耕筰は恒子の夫のエドワード・ガントレットから西洋音楽の手ほどきを受け、16歳の時に初めて『MY TRUE HEART』を作曲しました。

 

関西学院本科を中退して東京音楽学校予科を経て、1908年に同校(東京芸術大学)の声楽科を卒業した耕筰。

 

卒業した後の耕筰は岩崎弥太郎の援助でドイツのベルリン王立アカデミィ作曲科に留学しました。

 

在学中に日本人として初の交響曲『かちどきと平和』を作曲しました。

 

帰国後も岩崎が創設した東京フィルハーモニーの管弦楽部の首席指揮者を任されたものの、自身の恋愛問題で資金を絶たれてしまいます。愛人問題はこのあとも絶えません。。。

 

その後に渡米してカーネギーホールでの音楽活動を経て帰国した耕筰は帝国劇場でワーグナーの『タンホイザー』などを日本初演しました。

 

1924年には近衛秀麿とともに『日露交歓交響弦楽演奏会』を開催しますが、これが元になってNHK交響楽団の前身の日本交響楽協会が設立されます。

 

しかし、経理が不明朗だと内紛が起こり近衛秀麿らにほとんどの団員がついたため山田派は黒柳守綱ら4名を残すのみとなってしまいます。

 

40歳を迎えた耕筰はオーケストラ楽団の失敗で多額の借金を抱えて湘南の茅ケ崎に居を移します。

 

そこで再起した耕筰は『赤とんぼ』などの多くの童謡名曲を生み出しました。

 

レジオンドヌールを受賞した翌年の1937年に相愛女子専門学校(相愛大学)の教授に就任します。

 

そして演奏家協会を発足させた1940年にオペラ『黒船』を初演しました。

 

また『日本音楽文化協会』の副会長に主任して、情報局管轄下で音楽挺身隊を結成し、占領地での音楽指導のも携わります。

 

しかし、その際に将官待遇となり軍服姿をしていたため、戦後に先般論争のやり玉にも挙げられてしまいました。

 

その後、帝国芸術院会員や日本音楽文化協会の会長をつとめます。

 

しかし、戦犯論争がおさまった1948年に脳溢血で倒れ、以降は身体が不自由になってしまいます。

 

1950年に日本指揮者協会会長に就任し同年放送文化賞を受賞、1956年には文化勲章を与えらます。

 

1956年の暮れに、聖路加国際病院入院中に借りた東京世田谷にある洋館風の邸宅で心筋梗塞を発症して逝去。

 

享年80歳でした。

 

<小山田耕三の役どころ>

 

古山裕一が『国際作曲コンクール』で2位になると云う快挙を新聞で知った関内音は、すぐに裕一にファンレターを書きます。

 

音に返事を書いたことで祐一と音の文通が始まりますが、音から一方的に文通の中止を伝えられてしまう裕一。

 

動揺した裕一は手紙の住所を頼って豊橋の関内家を訪れて居座ります。

 

その時、興行師の鶴亀寅吉から勧められて豊橋で演奏会を開き成功をおさめた裕一。

 

その様子を伝えた新聞を読んで、小山田耕三は本物かまがい物か先が楽しみだと意味深なことを呟いていたのでした。

 

その後、イギリス留学の話が消えてしまった裕一を何とかしようと奔走した関内音は、伝手を辿って『コンロ部スレコード』との専属契約を取り付けることに成功します。

 

しかし、後々それは小山田耕三が同社に裕一を推薦していたことが判明するのでした。

 

『コロンブスレコード』と専属契約を結んだ祐一ですが、廿日市はなかなか裕一が作った曲を採用してくれません。

 

自分が会社と契約できたのは小山田耕三の推薦があったことを知った裕一は、自信作の交響曲『反逆の詩』を見せますがけんもほろろに突き返されて自信喪失してしまいます。

 

小山田耕三は古山裕一の類まれなる才能を認めながら、一方で将来に自分の立場を脅かす存在になることを恐れていたのでした。

 

<感想>

 

山田耕筰は岩崎弥太郎に見いだされたと言っても過言ではなさそうです。

 

そんな名作曲家をモデルにした小山田耕三を志村けんさんが演じると云うことで話題になっていました。

 

しかし、あまりにも突然の志村さんの訃報。

 

その演技が楽しみだっただけに残念でしかたありません。

 

志村けんさんのご冥福をお祈りします。

 


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