わろてんか高橋一生(伊能栞)実在モデル候補:小林一三

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わろてんか伊能栞役の高橋一生の実在モデル候補について!小林一三について調べました。

10月から始まる朝ドラ「わろてんか」に登場する高橋一生さんが演じる伊能栞の実在モデルとして
公式に発表されているわけではありませんが、その最有力候補と
ネットで言われている人物が小林一三さんです。

もう一人候補として挙げられているのが、辻阪信次郎です↓

小林一三さんのことについて紹介されている記事は少ないですが、
できる範囲で紹介したいと思います。

では、わろてんかで伊能栞の実在モデルだと思われる
小林一三さんについて紹介します。

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小林一三さんは、明治6年(1873年)、現在の山梨県韮崎市に生まれます。

19歳で慶應義塾を卒業し、三井銀行で本店勤務の後、大阪支店に赴任しましたが、
不況の影響で失業してしまいます。

その後、小林一三さんは明治40年(1907年)、三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道
(現在の阪急宝塚線・箕面線)を創立。

明治43年(1910年)に運行を開始した電車事業は、沿線の住宅開発を
一緒に行うという独創的な考えによって好調なスタートを切ることとなります。

そして、1920(大正9)年には神戸線が開通し、社名も阪神急行電鉄から
「阪急電車」と改名し親しまれます。

一方、梅田には、1929(昭和4)年、阪急百貨店(現在の阪急うめだ本店)を
開業し、洋食を主とした大食堂は人気を博しました。

また、小林一三さんは、大正3年(1914年)4月には、宝塚新温泉の再利用として、
「宝塚少女歌劇団」を創立し、エンターテイメント産業に進出もしました。

宝塚歌劇団や阪急ブレーブス、そして宝塚を東京に進出させ
「東宝」を設立するなど、
たくさんの人たちが楽しむことができるショービジネスを
次々に成功させていきました。

小林一三さんの独創的な発想から生まれたビジネスモデルは、
私鉄経営を始めとする各地の事業者達に影響を与えました。

そうした手腕が見込まれて、東京電燈(現在の東京電力)の経営を立て直し、
1940(昭和15)年には第二次近衛内閣の商工大臣、戦後には
戦災復興院総裁に任命されました。

多方面で活躍した小林一三さんは、1957(昭和32)年に享年84歳で
亡くなりました。

小林一三さんと吉本興業の創始者でわろてんかのヒロインの実在モデルである
吉本せいさんとの交流はなかったようです。

また、余談ではありますが、小林一三さんはテニスプレーヤーで有名な
松岡修造さんの曾祖父にあたる人物です。

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ここまでが、わろてんかで伊能栞の実在モデルだと思われる
小林一三さんについての紹介でした。

わろてんかに登場する伊能栞は実在モデルが公式に発表されていませんが、
日本にショービジネスを根づかせる青年実業家です。

伊能栞は大阪の伊能薬品社長の息子ではありますが、正妻の子ではないため、
神戸で貿易会社を興して実家とは距離を取っています。

てんの婚約者でしたが、てんが藤吉のことを好きだと知って、
後押ししてあげる器の広さがある青年という役になります。

伊能栞の生まれと小林一三さんの生まれは異なり、歩んでいく道も異なると思います。

また、小林一三さんと吉本せいさんとの交流もなかったようで、
伊能栞とは異なります。

しかし、「日本に華やかなショービジネスを根付かせていく」という
伊能栞の役どころと合致しているため、ネットの間では、
伊能栞の実在モデルが小林一三さんだと言われているのでしょう。

そして、私は小林一三さんが松岡修造さんの曾祖父であることに驚きました。

松岡修造さんの娘が宝塚歌劇団に入ったことはニュースになっていたので、
知っていましたが、まさか松岡修造さんの曾祖父が宝塚歌劇団の
創始者というのは知りませんでした。

約2週間後から始まる朝ドラ わろてんか。

まだまだわからないことだらけなので、新しい情報に注目したいですね。


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