どうする家康のネタバレあらすじ43話になります。NHK大河ドラマ2023年11月12日放送予定。
「関ヶ原の戦い」と題し第43回をお送りします。
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どうする家康ネタバレ43話あらすじ 石田三成と関ヶ原の戦いのために
光成挙兵の知らせを聞いた家康は、西側の大名の多くが光成側に見方する思わしくない状況で、上杉攻めを中止して決戦を決意します。
東軍が不利な状況に意気消沈する大名もいるなか、家康は各地の大敵方大名を凋落しながら大阪を目指したのでした。
そして瞬く間に家康は光成が籠城する大垣城の近くまでやってきます。
厳しい戦いながらこれに勝利することができれば完全に天下を手中にできると判断して、陣所で地図を見ながら一手でも打ち間違えた方が負けると思って熟考する家康。
一方で光成は大垣城で毛利輝元と豊臣秀頼が到着するのを待ちわびていました。
家康側も本軍の半分を預けた秀忠軍と合流できるのを待っていましたが、濃の真田の策略によって到着を遅らされていたのです。
自陣が秀忠軍と合流できるのを待つか、三成側に本軍がやって来る前に仕掛けるべきかの判断に迫られる家康。
自陣の兵力が足りないなら相手側の兵力を削ぐと考えていた家康は、その時すでに先手を打っていたのです。
家康から調略を任されていたのは黒田長政でした。
ところが小早川秀秋と毛利輝元に調略を繰り返していた長政でしたが、明確な意思表示は得られず蓋が開くまでわからない状況だったのです。
どうする家康ネタバレ43話家康出陣
ここで家康は大きな決断をくだします。
それは秀忠との合流を諦め、さらに三成が籠城する大垣城を攻めずに大阪を目指そうというものだったのです。
それはかつて家康が”三方ヶ原の戦い”で武田信玄から仕掛けられた戦法で、東軍が西へ向かえば三成は大垣城を出て追いかけざるをえなくなるというものでした。
その戦略に対して直政は後ろから三成、前から大阪からの軍勢に挟まれたうえに、小早川の凋落が失敗におわった場合は袋のネズミになってしまうと苦言を呈します。
そんな直政に向かって、それが三成の狙いだと返した家康は、どちらが人の心をつかめるかの掛けに打って出ていたのです。
すると、40年前に家康が桶狭間の戦いで敵に囲まれてしまったときに、大高城に兵糧を運び込んだ日のような激しい雨が降り出しました。
その雨を合図にしたように家康の軍勢はゆっくりと西に向かって動き始めます。
家康が動いたのを知った三成の軍勢はすぐに大垣城をでたのでした。
三成は東軍の作戦を読んで、先回りして関が原で迎え撃とうと考えていたのです。
時は1600年9月15日、夜が明けた関が原はすでに雨はあがっていましたが、山々に囲まれているはずの平原は深い霧に包まれていて何も見えません。
しかし、そこには家康が率いる東軍と三成が率いる西軍が集結していて、15万人もの兵が戦いが始まるのを待っていたのでした。
関ケ原の東にあった小さな丘のような桃配山に陣を置いた家康。
陣内では本多忠勝と井伊直政をはじめとした、東軍の者たちが西軍を打ち負かさんと気勢をあげていました。
一方で関ケ原の北西に位置していた笹尾山に陣を構えていた三成率いる西軍。
西軍の本陣の近くには島左近(しまさこん)や薩摩の島津義弘(しまづよしひろ)らも戦いが始まるのを待っていたのです。
しかも西軍の諸将は次々に着陣していったため、気が付けば徳川勢は見事なまでに三成勢に取り囲まれてしまっていたのでした。
そのような布陣で戦いが始めれば東軍の勝ち目はなさそうに思われましたが、何故か落ち着いていた家康たち。
それどころか平八郎や直政たちは、これから始まる戦を楽しみにしているようにも見えたのです。
そして、自分とともに戦って先に逝ってしまった者たちや、今は遠くにいる者たちの心が集まってきているのを感じることができると家康が口にすると、不思議なことに霧が晴れ始めたのでした。
すると平八郎がぼちぼち出陣するかと声をあげ、井伊直政に福島正則が先陣を切りたがっていると告げます。
すると直政は家康に向かって、先陣を自分に任せて欲しいと進言したのです。
三河出身ではないのじ自分につくしてくれたことに胸を熱くした家康は、直政に先陣を任せると命じたのでした。
どうする家康ネタバレ43話関ヶ原の戦い開始
そうしていよいよ戦いの火蓋は切っておとされたのです。
激しい戦闘がそこかしこで繰り広げられはじめますが、東軍を取り囲むように布陣していた西軍が優勢となります。
しかし勝敗を決するほどのものではなく、戦況は小早川秀秋がどう動くかによって決する状態となっていたのです。
そのとき、どちら側につくかを見極めるために戦況を見守っていた小早川。
しかも戦況を見守っているだけで動く気配を見せなかったのは小早川だけでなかったのです。
一方で三成が豊臣秀頼や毛利輝元たち本軍の到着をまだかと待ちわびて焦っていると読んだ家康。
そして家康は西軍に時間を与えずに、一気に勝負をかけることを冷静に決断したのでした。
総大将である家康が戦場のど真ん中にでたことで、西軍は総掛かりでせめるものの驚きひるんでしまいます。
そのせいもあって東軍の士気が逆に高まっていったのでした。
そのとき、小早川秀秋が動かないかと松尾山の方を見上げた家康。
そして決断するときだぞ小早川と心の中で呟いたのでした。
すると平八郎が家康に向かって、姉川で信長から鉄砲を打ち込まれたのを思い出すと告げます。
そのときの家康は浅井朝倉軍との戦いを前に、信長につくか否かを迷っていて、まさに今の小早川と同じような状況に追い込まれていたのです。
すると渡辺守綱(わたなべ もりつな)が同じように打ち込むかと訊きます。
しかし家康は大筒なら届くかもしれないと話す守綱に向かって、逆なでしないように天に向かって空撃ちするよう命じたのでした。
家康の鉄砲隊が一斉に空砲を打つと、その合図を待っていたかのように小早川の大軍勢が松尾山から駆け下りてきます。
そして小早川軍は西軍の大谷吉継の陣へ攻めかかっていったのでした。
小早川が東軍側についたことで戦況は大きく動きます。
西軍の武将が次々に寝返りを打ち始めたのです。
しかも笹尾山から呆然としながら戦況を見下ろす見下ろす三成のもとに上がってきた悪い報告は他にもありました。
何と主力のひとつである小西勢が総崩れしてしまい、潰走しているというのです。
そして病身の身で指揮を取り小早川の大軍に耐えていた大谷吉継(おおたに よしつぐ)が自害したとの伝令が西軍の本陣に届けられると、島左近が三成に逃げ伸びて再起をはかるように進言したのでした。
そんな左近に自分にはできすぎた家臣だったと礼を言った三成。
それに対して良い死に場所を与えてもらっと返した左近は自分の家来を引き連れて戦うために出て行ったのでした。
そうして関が原の戦いは8000人もの死者をだして終結します。
かすり傷1つも負わなかった平八郎に対し、島津勢を深追いしすぎた直政は銃弾を腕にあてられてしまっていました。
そんな直政を総大将自らが傷の手当をすると、家康が天下を取れたのは自分のおかげだと笑ってみせたのです。
戦いが終わると西軍についた大名たちには処罰がくだります。
戦場を離脱して逃げたものの、近江国伊香郡古橋村にて囚われれてしまい三成。
三成は戦いが終わって8日後に家康の目の前に連れてこられたのでした。
敗者となった三成はやつれてはいたものの、堂々とした態度に惨めさを感じさせません。
家康が戦のない時代に出会いたかったと声をかけると、自分の信念でやったことでそれは今も変わらないと返します。
そしてその日から10日がすぎた頃に、波乱の人生を生き抜いてきた石田三成は京の六条河原にて41歳の生涯を終えたのでした。
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