朝ドラ「ブギウギ」に小林小夜の人物モデルのもとになった人が二人いると言われてます。一人はめは、スズ子の実在モデルの笠置シヅ子さんの付き人をしていた「茂木さん」。
2人目は、東洋人・日本人初アカデミー賞受賞のナンシー梅木さんで、二人を足して合体させたのが小夜ちゃんではないかと言われています。
ブギウギでは、福来スズ子の付き人として活躍する小林小夜。
福来スズ子とその楽団の解散と同時に付き人を辞め、米兵のサムと恋人となり・・・
鈴子は反対しているようでしたが、最終的にはサムと渡米して別れになるのではと予想はしています。
そこで、今回は朝ドラ「ブギウギ」に小林小夜のモデルになったという、二人の人物を紹介し、小林小夜の今後の動向予想を解説します。
ブギウギ,小林小夜のモデル①:笠置シヅ子の付き人「茂木さん」
小林小夜ちゃんのモデルとして考えられている一人目は、笠置シヅ子さんの付き人を務めていた「茂木さん」という名前の女性の方です。
茂木さんは、笠置シヅ子さんが書いた自伝「歌う自画像~私のブギウギ伝記」において、笠置シヅ子さんがつけていた日記に登場しています。
日記には「茂木さん(その頃、私の身辺を世話してくれていた女性)」と書かれていました。
その日記は、子供を産むために病院に入院中のシヅ子さんの代わりに、茂木さんが荷物を届けたりしてくれている様子が描かれています。
小夜ちゃんもスズ子の身辺の世話や、遠征時の荷物運びを担当していたそうです。
でも弟子として修行しているような描写はなく、「茂木さん」に関する詳しいことは分かりませんでした。
「ブギウギ」第一話にも、スズ子が赤ちゃんを抱いているシーンがありました。
その時に身辺を世話していたのが小夜ちゃんだったとしたら、付き人の茂木さんがモデルの一人である可能性があります。
ブギウギ,小林小夜のモデル②:ナンシー梅木さん
日本人として、また東洋人としても初めてアカデミー賞を受け取ったナンシー梅木の功績は、今なお高く評価されています。彼女は1958年の第30回アカデミー賞で助演女優賞を獲得しました。
北海道小樽市に生まれたナンシー梅木は、1927年のことです。子どもの頃から音楽に親しんで育ち、10代でジャズシンガーとしての活動を始めます。
そのハスキーな声と感情豊かな歌唱力は、多くのファンから愛され、日本のジャズシンガーの第一人者となりました。
1955年、彼女はアメリカに渡ることを決めます。
ハリウッドでのチャンスを求めて、オーディション番組に参加し、その演技力で注目を浴びました。
1957年、マーロン・ブランドが主演した映画『サヨナラ』に出演し、主演女優賞にノミネートされます。
これは、日本人俳優としては初めてのアカデミー賞ノミネートでした。
映画『サヨナラ』で助演女優賞を獲得したナンシー梅木は、日本人初のアカデミー賞受賞者として、その功績は高く評価されています。
『サヨナラ』は、戦後の日本を舞台にした作品で、彼女は主人公の日本人妻役を見事に演じました。
その演技力は、アカデミー賞の審査員にも認められ、助演女優賞を獲得しました。
ナンシー梅木の受賞は、日本だけでなく世界中で大きな話題となりました。
彼女は日本人俳優の海外進出の先駆者となり、東洋人俳優の存在感を示すことになりました。
その後も、ナンシー梅木はハリウッドで活躍を続け、多くの映画に出演しました。
また、テレビや舞台でも活躍し、アメリカで成功を収めました。
ブギウギ,小林小夜のモデルより今後の動向,最終回に回収アメリカで活躍日本に
小林小夜ちゃんの今後の動向をこの二人のモデルから予想すると、
スズ子の反対があるも、サムと小夜ちゃんの二人の絆が強く、二人は結婚し最後にはそれを認めアメリカ行きを応援し見送る様子が16週、17週でみられるかもしれませんね。
そして、朝ドラあるあるで最終回で、小夜ちゃんがアメリカでシンガーとしてか、それとも映画で日本人初のアカデミー受賞者として活躍してるという様子で、この話の回収が終わるというハッピーエンドの形がみれるのではと予想してます。
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