〈まんぷく実在モデル 安藤仁子さんについて〉
NHKの朝ドラ まんぷくの主人公は、安藤百福さんです。その妻は、安藤仁子(あんどう まさこ)さんです。安藤仁子さんは、1917年8月に福島県で生まれです。
福島県では名門の家系で大阪の女学校を卒業してます。おそらく金蘭学園系の女学校ではないかと言われてます。水泳が得意な少女でした。女学校卒業してから現在の京都ウェスティンホテルの電話交換手をしてました。
英語が堪能で仕事振りも優秀でしたのでホテルの受付に配置転換されました。 そして転職をしたみたいで財界人が利用していた大阪クラブという社交場で受付もしていたそうです。
その社交場で赤い糸で結ばれていた安藤百福さんと知り合います。安藤百福さんは、在日台湾人でした。知り合った当時安藤百福さんは、呉百福と名乗ってました。7歳年上の実業家でした。 安藤百福さんは、仁子さんに一目惚れしました。安藤百福さんは、仕事には熱心で積極的です。
しかし恋愛は、シャイで緊張してしまいます。その悩みを社交の場で知り合った知人に相談して[好きな女性には押して押して押しまくれ]とアドバイスを受けます。それに従い安藤百福さんは、朝の出勤途中の仁子さんに告白しました。
安藤百福とその妻仁子 インスタントラーメンを生んだ夫妻の物語 (中経の文庫)
1945年に二人は結婚します。しかし当時の安藤百福さんは、台湾人でした。台湾では妾制度があり台湾の女性と結婚しており男の子が生まれてました。 メリヤスの事業で成功した安藤百福さんは、妾を連れて日本に来ました。
妾との間に3人の子供がいました。しかし安藤百福さんは妾と別れてしまいます。妾は子供を連れて台湾へ帰りました。当時の台湾では妾制度は、珍しい事ではありませんでした。 その後に知り合ったのが仁子さんでした。いわゆる国際結婚です。
お互いの文化や思想も理解し合いました。 結婚直後には、空襲が激しくなり夫婦で兵庫県に疎開しました。 安藤百福さんは、大阪に事業所や工場がありましたが戦争で焼け焦がれました。損害を受けた保険金として今でいうと1,000億円という大金を得ました。
安藤百福さんは、その当時の国籍が台湾でした。しかし戦後に台湾と言う国籍選択はできず中国か日本のどちらかを選ぶしかありませんでした。安藤百福さんは、家族や世間の人を助けたい思いから財産を守れる中国の国籍を選びました。中国の国籍を選ぶ事により戦勝国としての様々な特権も得られました。配給量も戦勝国には優遇されてました。 保険で入ったお金で大阪で土地を購入しました。
日本人のための製塩事業も始めました。また車の技術等の就職に役立つ技術学校等も始めました。安藤百福さんは、私利私欲に走る人ではありませんでした。日本人の為に自分の財産を使い多くの日本人を助けました。
次第にその人柄の良さが人望を集めて政界とも繋がりができて来ました。 しかしまた安藤百福さん夫妻に逆境が来ました。安藤百福さんは、脱税で逮捕されたのです。その内容は、塩のビジネスで従業員に小遣いを渡す感覚で給料渡してました。小遣い感覚でしたから申告をしませんでした。
それが脱税で有罪判決を受けて約2年の服役を受けました。 その後百福さんは、華僑から頼まれた華僑向けの「大阪華銀」という信用組合の理事長になりました。 しかしこの信用組合が倒産しました。理事長だった百福さんは全財産を失い無一文になりました。
連続テレビ小説 まんぷく Part1 (NHKドラマ・ガイド)
妻の安藤仁子さんは、セレブから小さな子供三人抱えながら生活が一転しました。安藤仁子さんは、経済的に困窮して嘆く時もありました。それでも毎日明るく家族の為に食事を作りました。どんな時も内助の功で夫を支えました。 また夫の才能を伸ばす内助の功にも長けてたみたいです。その結果、安藤百福さんの大成功に繫がりました。
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