おしん 加賀屋のモデルはあるの?加賀屋のおばあちゃん、くにおばあさんについて ほかのかよや加賀屋のキャスト一覧、加代の最後 壮絶な死までの内容です。
4月1日(月)からBSプレミアムで、再放送が始まった朝ドラ『おしん』。
おしんは、昭和58年(1983年)4月4日から昭和59年(1984年)3月31日まで放送され、
ドラマ史上、歴代最高の平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%を記録し、
現在もその記録はどのドラマにも抜かれていない伝説的なドラマです。
おしんが2つ目の奉公先として訪れたのは、酒田にある米問屋「加賀屋」。
ここで、おしんは奮闘し、皆から認めてもらえる存在になっていきます。
そこで今回は、おしんに登場する加賀屋のモデルについてと1番最初におしんを
認めてくれた加賀屋のおばあちゃん・くにおばあさんを始めとする加賀屋のキャスト一覧
について簡単に紹介したいと思います。
目次
おしんの2つ目の奉公先:加賀屋のモデルについて
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おしんが2つ目の奉公先として訪れて働いていた、酒田の米問屋「加賀屋」の
モデルとなった場所が、実際に山形県の酒田市にあるようです。
その写真がこちら
(引用元:http://stat.ameba.jp/user_images/20130620/14/sf-spirin/80/45/j/o0800060012582169218.jpg)
(引用元:http://stat.ameba.jp/user_images/20130620/14/sf-spirin/aa/ff/j/o0800060012582169217.jpg)
井原西鶴の『日本永代蔵』にも登場する国指定史跡の「旧鐙屋」が、モデルに
なったようですね。
立派な建物となっています。
写真に写っているおしんの手には、母のふじから貰った大切なおしんこけしが
抱かれていて感動的です。
旧鐙屋についての情報はこちら
http://www.city.sakata.lg.jp/smph/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/kyuu_abumiya.html
加賀屋のおばあちゃん・くにと他加代など加賀屋キャスト一覧
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加賀屋の大奥様・加代のおばあちゃん 八代くに
・・・長岡輝子
生年月日 1908年1月5日(102歳没)
出身地 岩手県盛岡市
職業 女優、演出家
長岡輝子さんは、昭和26年(1951年)、春原政久さんの手による『風にそよぐ葦』
で、本格的に女優としての活動を始めます。
それまでは演出家としての活動に重きを置いていましたが、以後は、女優と
演出家という2足の草鞋を履いて活動することに。
昭和39年(1964年)には、ウェスカー作『大麦入りのチキンスープ』を演出、
主演し、文部省芸術祭文部大臣賞(現在の大賞)を受賞。
昭和45年(1970年)に『メテオール』で紀伊国屋演劇賞を受賞。
翌年の昭和46年(1971年)には、文学座を退団し、座友になり、その後は、同郷の
宮沢賢治の作品の盛岡弁による朗読や、聖書の朗読などに新たに取り組んで
いました。
そして、昭和58年(1983年)に、『おしん』で、加賀屋の大奥様・八代くに役と
して出演したことで長岡輝子さんは、一般に知られることになりました。
晩年は高齢となったこともあり、活動の主体を演劇から朗読に移していました。
宮沢賢治の童話と詩を岩手の方言で読む朗読会を続け、平成15年(2003年)には、
その功績で菊池寛賞を受賞。
その年、聖書朗読活動の功績が認められ、日本キリスト教文化協会より
キリスト教功労者の表彰も受けます。
平成19年(2007年)12月の舞台『星を見た男たち』で朗読者として出演し、翌年の
平成20年(2008年)12月の舞台『キングオブキングス』へ録音した声の出演が
最期の仕事となりました。
平成22年(2010年)10月18日午前0時22分。
老衰のため東京都内の自宅で亡くなります。享年102歳。
102歳という年齢は、死去直前の時点で存命している日本の女性芸能人中、
最高齢だったようです。
長岡輝子さん演じる八代くには、加代のおばあちゃんで加賀屋の「大奥様」。
おしんの理解者であり、広い心で、幼いが向学心のあるおしんを見守ってくれます。
おしんの奉公人としての働きぶりや簡単な読み書きができ、向学心があることを
知り、信頼を置くようになり、加代と一緒に勉強を教え、帳簿の見方や花嫁修業
としてお茶や生け花も身につけさせ、おしんがこれから生活していく術を
教えてくれた大恩人でもあります。
加代の家出の件では心を痛め、加代が帰郷直後に再度、家出しようとした時に
心臓病で倒れます。
おしんが佐賀から家出して山形の実家に帰った頃には危篤状態に陥っており、
駆けつけたおしんに加代のことを頼んだ翌朝、亡くなりました。
享年76歳。
加賀屋の長女 八代加代
・・・志喜屋文(少女期)→東てる美(成人期)
加賀屋キャスト加代の少女期役の志喜屋文さん
(引用元:https://orionfdn.org/oshin-koyaku/)
生年月日 1971年12月27日(47歳)
出身地 沖縄県
職業 元女優
志喜屋文さんは、朝ドラ『おしん』の八代加代役で一躍有名になりました。
その他にも、映画『せんせい』(1983年)、『桜の樹の下で』(1989年)や、
ドラマ『笑顔泣き顔ふくれ顔』(1982年・フジテレビ系)、『なっちゃんの写真館』
(1980年・NHK)などに出演。
1993年4月~1995年3月、NHK教育『はてなでスタート』という小学生向けの
番組に、お姉さんとして出演していますが、それ以降は、メディアには姿を
見せていません。
そのため、24歳辺りで志喜屋文さんは芸能界を引退していると思われます。
加代さんの詳細やもっと画像を見たい方や知りたい方は↓
おしんあらすじキャストかよ志喜屋文の現在は?当時のCM動画も【少女編
加賀屋キャスト加代の成人期役の東てる美さん
(引用元:https://orionfdn.org/oshin-koyaku/)
生年月日 1956年8月12日(62歳)
出身地 東京都板橋区
身長 160 cm
血液型 AB型
職業 女優、タレント
東てる美さんは、ピンク映画を経て、1974年に『生贄夫人』で日活初出演を
果たします。
当初の谷とのコンビによるSMものから次第にアイドル的なポジションに
シフトし、1976年の『禁断 制服の悶え』でトップ女優としての地位を確立。
映画『生贄の女たち』(1978年)、『天使の欲望』(1979年)などもヒットを収めます。
1978年に公開された映画『闇に白き獣たちの感触』では、21歳にして監督
デビューも果たしています。
1980年代以降は橋田寿賀子脚本作品に多く起用され、特に『渡る世間は鬼ばかり』
の小姑・小島邦子役で有名になりました。
2007年に放送された『特命係長 只野仁』(テレビ朝日系)で、久々に激しい
ベッド・シーンを演じています。
また、2018年5月、TBSの医療番組『名医のTHE太鼓判!』の企画で、人間ドック
を受診すると、X線検査で左肺に影が見つかり、6月に受けた精密検査の結果、
肺腺がんと診断。ステージは1B。
7月18日、がんの摘出手術を受け、肺の5分の1を切除しています。
8月中旬には、リンパにもがん細胞が発見され、10月終わりから抗がん剤治療を
開始。
2019年2月1日放送の『爆報! THE フライデー』出演時に、がん切除後に再発防止
のために抗がん剤治療を開始していたことを東てる美さんは明らかにしました。
しかし、髪が抜け落ちたり耳鳴りや体がだるくなるなど抗がん剤が体に合わず
強い副作用に悩み、亡くなった母親も抗がん剤治療時には壮絶な闘病だった事を
とても後悔して、東自身も今後は抗がん剤治療はしないことを決心して中止する意向だと番組内で話しています。
2019年2月13日には渡部絵美さんと一緒に『徹子の部屋』へ出演して自身の
病気を黒柳徹子さんに話しています。
2019年2月、2度目の治療後に強い副作用に襲われたため、4回行う予定の
抗がん剤治療を中止したことを明かしました。
加賀屋かよとおしんの出会い、加代の最後結末の死までのあらすじ
志喜屋文さんと東てる美さん演じる八代加代は、おしんの二度目の奉公先である
酒田の米問屋・加賀屋の長女。
おしんとは同い年で、わがままで気が強い性格をしていて、両親など周辺から
甘やかされていた大店のお嬢様であり、奉公入り当初はおしんの事を気に入らずに
嫌っていましたが、ふとした喧嘩や命を助けてもらった事で改心して、実の
姉妹のように仲良くなりました。
青春期には、画家になることに憧れて加賀屋を継ぐことを拒否。
大正デモクラシーの風潮の中、社会主義に理想を抱き、偶然出会った社会主義者
である高倉浩太に恋心を抱き、浩太を追って加賀屋から出奔します。
東京でしばらく浩太と同棲していましたが、浩太はすぐに加代の元を離れて
いってしまいました。
再会したおしんから妹の小夜の死を知り、酒田に帰郷します。
あくまでも一時的な帰郷のつもりで、その後も浩太を思って家出しようと
しましたが、くにが倒れた事態と浩太から連絡がなかったために断念します。
大卒の政男と結婚してからは、彼のやり方に不満を抱き、女一人で加賀屋を
引っ張っていくことに。
おしんが佐賀から家出してきて、くにの臨終を看取った後、事情を受け取り、
酒田で加賀屋が保有していた空家をおしんに譲って、食堂兼飲み屋に仕立て、
そこでの業務に加代も大いに手伝いました。
しかし、おしんが伊勢に移った後に政男が自殺してしまいます。
しかも、政男が生前手を出していた商品相場で多額の借金を抱えていたため、
加賀屋は破産し、凋落の末、東京の女郎屋へ身を落とすことに…。
その後、両親も相次いで死去。
おしんと浩太は加代の生活を救おうと、女郎屋に金銭100円を渡そうとしましたが、
借金は利子も含めて雪だるま式に増えて1000円にもなっており、果たせません。
おしんと会った日の夜、飲酒から成る胃病のため喀血し、血がのどに詰まって
加代は窒息死してしまいます。
昭和6年(1931年)の出来事でした。
一人息子の希望はおしんが引き取り、遺骨はおしんが伊勢に建てたお墓に
両親と一緒に納められました。
加賀屋キャスト 加代の父 八代清太郎
・・・石田太郎
生年月日 1944年3月19日6(69歳没)
出身地 京都府京都市
身長 181 cm
血液型 B型
職業 俳優、声優、僧侶
石田太郎さんは、劇団雲、劇団昴所属時代から舞台だけでなくテレビドラマや
映画の出演も数多くしています。
声優としては、『新刑事コロンボ』など、洋画の吹き替えを中心に活躍していて、
吹き替えでは主にジーン・ハックマンやジャック・ニコルソン、アンソニー・
ホプキンスの吹き替えを多く担当していました。
アニメでは、悪役や権力者を演じることが多かった一方で、『くまのプーさん』
のイーヨーのようなスローペースな役や、『リトル・マーメイド』の続編で
担当したトリトン王のような厳格さと温和さを併せ持つ役柄も演じています。
石田太郎さんは、NHK大河ドラマの常連俳優であり、1984年に『山河燃ゆ』、
1985年に『春の波涛』、1986年に『いのち』、1987年に『独眼竜政宗』と
4年連続出演するなど、生涯の中で15作の大河ドラマに出演していました。
1989年の『春日局』と2000年の『葵 徳川三代』では、同じ大久保忠隣役を
演じるという常連俳優ならではの経験もしています。
また、朝ドラにも1983年の『おしん』、1987年の『はっさい先生 』、
2006年の『芋たこなんきん』、2011年の『カーネーション』と4作品にも
出演されていました。
特に、2006年の朝ドラ『芋たこなんきん』では、石田さんのために原作には
ない住職役が作られたそうです。
石田太郎さんは、声優や俳優として活躍するだけでなく、浄土真宗本願寺派の
僧侶でもあり、石川県金沢市乗敬寺の住職も務めていたのです。
石田太郎さん演じる八代清太郎は、母親であり、加賀屋の経営を取り仕切って
いる、くにには頭が下がる若干頼りない性格をしています。
しかし、娘の加代のことになると強気に。
妻のみのと同じく、途中からおしんに対して優しく接するようになります。
加賀屋凋落後、心労がたたり東京で脳卒中で死亡します。
加代の母 八代みの
・・・小林千登勢
生年月日 1937年2月13日(66歳没)
出身地 日本統治下朝鮮・京畿道京城府
職業 女優、タレント
小林千登勢さんは、共立女子高等学校卒業後、文学座の研究生となり、1958年に
NHKと専属契約を結びます。
清純さの中にどこか哀愁を漂わせた美貌で人気を集め、馬渕晴子さんと冨士
眞奈美さんと合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ、テレビ草創期のスターとなりました。
フリーとなってからもテレビを中心に活躍し、1976年からは『おはようワイド・
土曜の朝に』では3年2か月、司会を務め、『象印クイズ ヒントでピント』では
14年間レギュラー解答者として出演していました。
小林千登勢さんが女優として初めて出演したのは、1958年に放送された芸術祭
参加作品『父』(NHK)でした。
そして、1961年放送の川端康成原作『伊豆の踊り子』(NHK)ではヒロイン
薫役を演じて、その演技に川端康成も注目していたようです。
また、小林千登勢さんは、大河ドラマには1971年の『春の坂道』、1986年の
『いのち』、1989年の『春日局』の4作品に出演。
朝ドラには、1983年放送の『おしん』以外にも、1974年『鳩子の海』と
2001年放送の『ほんまもん』に出演されていました。
小林千登勢さん演じる八代みのは、加代の母で、当初、おしんにも優しく
接していましたが、娘の加代と奉公人のおしんに対するくにの考えにズレが
生じてしまい、一時冷たい態度を取るように。
しかし、おしんが加代の命を助けたことで改心し、実の娘のように愛情を持って
接するようになります。
加賀屋凋落後、3か月入院した後、東京で死亡。
加代の妹 八代 小夜
・・・ 宮城望(乳児期)→大塚ちか
おしんが子守をした加代の妹で、おしんが加賀屋を去った2年後に肺炎で
亡くなります。
番頭・・・ 小野泰次郎
加賀屋の番頭
きく・・・ 吉宮君子、うめ・・・ 佐藤仁美
加賀屋の奉公人で、おしんの少女編に登場する先輩達。
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ここまでが、おしんに登場する加賀屋のモデルについてと1番最初におしんを
認めてくれた加賀屋のおばあちゃん・くにを始めとする加賀屋のキャスト一覧
についての簡単な紹介でした。
加賀屋のモデルは、実際に山形県の酒田市にある国指定史跡の「旧鐙屋」だったん
ですね。
おしんの置き物が可愛いです。
山形県に行くことがあれば、観光先に追加したいと思います。
また、おしんの再放送によって訪れる人が増加するのではないでしょうか。
そして、おしんに登場する加代のおばあちゃん・八代くにを演じる長岡輝子さんは、
102歳まで生きていたというのは衝撃的でした。
威厳があって、でも優しさのある温かいくには、理想のおばあちゃんだと
おしんを見ていて思いました。
これからもくにを始めとする加賀屋の人達にも注目したいですね。
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