2019年のNHK大河ドラマは『いだてん』です。
“いだてん(韋駄天)”は仏法の守護神で仏舎利を盗んだものを追いかけて取り返したほど走るのが早い神とされます。
今回は24話のあらすじネタバレについてです。
<いだてん24話簡単あらすじ>
大震災の後、東京市長は被災者の為にバラックと呼ばれる仮設住宅をあちこちに建てます。
嘉納も完成間近の神宮外苑競技場の敷地をバラック建設用地として解放したのでした。
一旦、熊本に戻った四三でしたが、幾江から韋駄天としてやるべき事があるだろうと発破をかけられて東京に舞い戻ります。
戻った四三は幾江が送ってくれた救援物資を仲間たちと仮設住宅で不便を強いられている人たちに配ったのでした。
女学生たちも炊き出しなどで被災者を支援しました。
孝蔵も寄席の跡地の簡易舞台で落語を披露して笑いを提供したのでした。
そんな状況でしたが、復興運動会を神宮外苑競技場で開催したのでした。
その大会で人々は様々な人との再会も成しえたのでした。
<いだてん24話あらすじ>
大正12(1923)年 9月関東地方を襲った大きな地震の被害は死者行方不明者が約11万人、全壊家屋11万棟。
さらに火事が発生したことで21万棟の家屋が焼失してしまいました。
当時の東京市長は被災者救済のためのバラックと呼ばれる仮設住宅設置を指示しました。
嘉納治五郎も完成間近だった神宮外苑競技場の被害が軽微であったこともあり、バラックをを建てる場所として解放すると申し出たのでした。
四三は実家に自分が無事な姿をみせる意味合いもあって帰省します。
4年ぶりのことでした。
四三の顔を見て喜ぶ家族でした。
しかし姑の池部幾江から想定外の発破をかけられた四三。
「東京が大変なときに逃げてくるとは情けない。大変なときこそ東京でやるべきことをやりなさい‼韋駄天という神様は、食べ物を集めて、人々に運ぶために走った神様。お前は韋駄天なのだろう?」
幾江の言葉で自分がすべきことに気が付いた四三は直ぐに東京に戻ります。
また、スヤも四三に同行したのでした。
四三たちが播磨屋に戻ると幾江がたくさんの食料や救援物資を送ってくれていました。
これを、仲間たちと東京中に点在していた避難所に配ってまわったのでした。
村田富江ら女学生たちも炊き出しなどをして被災者の為に奔走したのでした。
そんな状況では寄席どころではないと自宅で腐っていた美濃部孝蔵は酒を求めて外にでたのでした。
すると寄席のあった場所に瓦礫を積み上げた舞台をつくって演芸を披露している男を見かけます。
それを見た孝蔵もそこで落語を披露して集まっていた人たちに笑いを届けたのでした。
1ケ月後、嘉納は永井や可児やトクヨ達と顔を合わせて無事を喜び合います。
そこで嘉納は人々をスポーツで元気づける3つの提案をしたのです。
1年後のパリオリンピックに日本も参加すること‼
予選会として全国陸上競技大会を開催すること‼
神宮外苑競技場で”復興運動会”を開催すること‼
それを聞いて外苑バラックの自治会長をしていた清さんや小梅は避難生活で疲弊していたり怪我をしている人もいるからと復興運動会に反対します。
でも、嘉納は訴えます。
「こんな沈んだときだからこそ、皆が楽しめることをやって元気を出さなければ、、、スポーツにはそうするチカラがある‼」
地震以来ずっとシマを探し続けている増野も運動会を開いたらシマが戻ってきてくれるかも知れないと開催に賛成するのでした。
復興運動会の当日です。
安仁子も、自身の私財を投げうって作った児童福祉施設の子供たちを連れてきたのでした。
四三は久しぶりの安仁子との再会に供たちの参加を喜びます。
さらに、シマが才能を見出していた絹枝もきてくれたのでした。
シマには陸上はしないと断っていた絹枝でしたがシマからの手紙で心を動かされていたのでした。
岡山の競技大会に参加した絹枝は走り幅跳びで日本新記録を出していました。
そんな絹江にも参加して欲しいと頼んでいたのです。
四三は絹江の走るすがたを見て女子スポーツの可能性を感じたのでした。
復興運動会では子供たちの徒競走や親子リレーも含めて40種目にもなる競技が行われました。
しかも、運動会に参加できない人のために復興寄席を開いて孝蔵らが落語を披露したのです。
復興運動会の最後の種目は四三や野口源三郎らオリンピック選手による徒競走でした。
そこには三島弥彦も姿を見せてくれていて夢の共演に沸く人々。
こうして、復興運動会は、大盛況のうちに幕を下ろしたのでした。
<いだてん24話感想>
当時の東京市長は後々再興市長と呼ばれるほど被災者対応に尽力したようです。
四三にやるべきことを思い起させた幾江はさすがですね。
震災からの復興での皆が出来ることをして支え合う姿は見ていても気持ちの良いものです。
あの、自分の事しか考えない様な孝蔵が落語が持つ力を感じ取った一連の出来事だったのかも知れません。
それぞれの想いで開催された復興運動会は生きていく為の力をそれぞれの心に残して閉幕しましたね。
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