明治時代から大正時代にかけて活躍した女性新聞記者の描いたこの人気ドラマは2020年の春からBS放送で再放送が始まっています。
今回はhanekoma第154話と第155話と第156話最終回最終話のあらすじについて紹介します。
はね駒第154話のあらすじ>
明治39年3月。
弘次郎とヤエが福島の二本松に戻ってしまったあとのことを考えて朝からご飯の支度とかの家事を大忙しでこなすりん。
居なくなり前に自分で小野寺家の家事一切を自分でできるようにしておこうと思ったのでした。
井戸の水くみなどの重労働を頑張ってこなしていくりんをキヨも手伝ってくれます。
そんなある日、中川鶴次が直助から預かってきた2通目の手紙を持ってきます。
そこには、直助が下働き時代に世話になった弘次郎や徳右衛門たちと一緒に生活できるのを楽しみにしていると綴られていたのでした。
弘次郎たちが東京で生活している間もずっと店を守ってくれた直助。
4月になって、いよいよ橘家が故郷の二本松に向かって発つ日が近づいてきました。
前日には別れを惜しむ宴が小野寺家と橘家のみんなで催されて源造も世話になった弘次郎たちに挨拶をしました。
引越しの当日は、彌七とキワも弘次郎たちに同行することになり、みどりも大吉を連れて見送りに訪れたのでした。
<第155話のあらすじ>
弘次郎たちが福島の二本松に戻っていってから6年の歳月が流れました。
源造とりんの長男の弘は中学校の3年生になっていて明子も小学校の3年生です。
そして、治と名付けられた3番目に生まれてきた男の子は6歳になっていて、さらに末っ子の春子は5歳です。
その頃になると、源造はもともとの運動用具店の傍らで活動写真館も営むようになっていて、明治新聞社の編集長だった津村は何と副社長です。
末っ子の春子の手がかからなくなったのタイミングで新聞記者に復帰していたりんは相変わらずで興味を持った飛行船に乗る機会を得たりしています。
キヨは女学校を卒業しても小野寺の手伝いを続けながら教会での青年会などの仕事をするようになっていたのでした。
そして、故郷の福島に戻った弘次郎は二本松でも珈琲館を始めていてヤエも充実した日々を送っていました。
そんなある日、長男の弘からあらたまって相談があると打ち明けられたりん。
東北女学校へ行きたいと言い出した昔の自分を思い出していたりんでしたが、弘の相談とは留学することだったのでした。
はね駒最終話最終回 第156話のあらすじネタバレ
日露戦争が終ってからすでに8年の月日が流れていました。
14歳になっていた長男の弘から唐突に外国に渡って勉強したいと言いだしたのは、両親である源造やりんの背中を見て育ってきたからでした。
それを聞かされたとき自分が家から遠く離れた東北女学校で勉強したいと言い出したときの弘次郎やヤエの気持を初めて理解できました。
そうして明治45年7月に小野寺家は家族全員で二本松に向かう事になります。
故郷の二本松には祖母のコトとりんの妹のミツと弟の嘉助が眠っていました。
橘家はみんなの故郷で先に逝ってしまった家族の法要を営みます。
ところが福島の地の新聞で『聖上陛下御重態』の文字を見つけた源造とりん。
源造はりんの気持を察して子供たちは自分が連れて帰るから新聞記者の仕事をするために先に東京へ戻れと言ってくれます。
そうして、源造や4人の子供に見送られて新聞記者のりんはひとり東京へ戻っていったのでした。
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<第154話と第155話と第156話の感想
りんにとって新聞記者は天職だったのかも知れません。
でも、源造と云う良き理解者と津村と云う指導者がいてくれたからこそりんが新聞記者としてやってこれたのだと思います。
時代が目まぐるしく変わっていく中で橘家の家族はこれからも頑張って生きて行って欲しいものです。
男尊女卑の古い考えが色濃く残る時代に女性新聞記者として力強く生きてきたりんの益々の活躍を期待したいですね!?
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