はね駒は、1986年に放送された第36作のNHK連続テレビ小説です。
明治時代から大正時代にかけて活躍した女性新聞記者の描いたこの人気ドラマは2020年の春からBS放送で再放送が始まっています。
今回は6月22日、23日再放送のはね駒こんま79話80話のあらすじについて紹介します。
<はね駒79話のあらすじ>
1896年(明治29年)の秋に、弘次郎が下した結論に従い橘一家は福島から東京に移住しました。
東京は弘次郎の年の離れた弟の彌七が暮らしている街だったのです。
東京での新しい生活が始まった時には、りんは19歳になっていて弘次郎とやえはそれぞれ47歳と43歳でした。
そして祖父の徳右衛門と祖母のことは既に67歳と65歳になっていて当時としては長寿を全うしていたのでした。
一家は小野寺源造の伯父が住職をつとめる浅草にある寺の離れで生活をはじめることにします。
東京についた翌日には、一家は源造に案内されて凌雲閣がある浅草などの東京見物をすることにしました。
しかし、そこで考えてもいなかったことがおきてしまいます。
何と、福島暮らしで人ごみに慣れていない父親の弘次郎が案内をしてくれている源造やりんとやえからはぐれてしまったのでした。
<はね駒80話のあらすじ>
東京に移住での生活が始まった橘家でしたが父親の弘次郎は重労働の材木荷揚げの仕事を始めます。
弘次郎の弟の彌七と彼に事していた小野寺源造は建築関係の仕事をしていた桐山との話の中から東京で材木屋をはじめていました。
それもあってふたりの関係先の仕事を弘次郎に紹介してくれていたのです。
しかし、仕事を紹介しておきながらふたりとも47歳の弘次郎には体力的に無理ではないかと心配します。
一方、りんも東京での仕事を何とかして見つけようとします。
運よく、東京には仙台の女学校での先輩の里見なつが住んでいました。
彼女はスキャンダラスな二宮しづと一緒に東北女学校を退学になり東京で暮らしていたのです。
仕事の当てなどまったくないまま福島から東京に移ってきたりんは、里見なつを頼って彼女が働いている昭和女学校を訪問してみます。
そして、里見なつに東京での仕事についいて相談しますが、りんの思うようには仕事を見つけ出すことができずに苦悩するのでした。
<79話と80話の感想>
東京での生活の糧のことを何も考えずに、弘次郎の弟の彌七を頼って上京するとは橘家の家族の無計画さには驚かされます。
しかも、東京と福島は今よりもっと言葉の壁が高かったことが考えられます。
彌七と小野寺源造が弘次郎のために探した材木荷揚げの仕事なら言葉の障壁は低かったかもしれませんが、当時の47歳には厳しすぎるような気がします。
りんも東北女学校での教師の仕事を東京で見つけるのは無理がありそうですね!?
東京で東北弁の女教師は受け入れてもらえそうもありません。
弘次郎の思い付きで東京にきてしまった橘家はいったいどうなるのでしょうか?
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