スカーレット 武志のモデルとキャスト伊藤健太郎についての内容です。
10月から放送が開始された第101作目の朝ドラ『スカーレット』。
ヒロイン・喜美子は陶芸家の八郎と結婚し、2人の間には武志という男の子が
産まれました。
そこで今回は、スカーレットに登場する武志のモデルのネタバレとそのキャストの伊藤
健太郎さんについて紹介したいと思います。
スカーレット 武志のモデル神山賢一
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スカーレットに登場する喜美子と八郎の間に産まれた武志の実在モデルは、
喜美子の実在モデルである神山清子さんと八郎の実在モデル・神山易久さんの
間に産まれた神山賢一さんです。
神山清子さんの長男である神山賢一さんは、幼い頃から信楽焼を手伝って
いたこともあり、自然と信楽焼の道を目指し、信楽工業高校の窯業科を卒業。
その後は、滋賀県立信楽窯業試験場で、ロクロや釉薬について学び、3年の修行
を経て、母の神山清子さんの元に戻り、天目茶碗の制作に励みながら、陶芸家
としての道を歩み始めました。
しかし、平成2年(1990年)2月16日。
神山賢一さんは29歳の誕生日を迎えましたが、その4日後である2月20日に
作品を作っている最中に倒れ、病院に運ばれました。
検査の結果、神山賢一さんは慢性骨髄性白血病と診断されました。
これは、神山清子さんが54歳の時のことでした。
それから2日後に賢一さんは、大津市の赤十字病院に転院し、そこで清子さんは
改めて、医師から白血病は血液の癌であることを教えられました。
そして、赤血球の形(HLA)が合ったドナーから骨髄を移植するしか、治療法は
なく、ドナーが見つからなければ、神山賢一さんの余命は2年半だという宣告を
されました。
清子さんは医師からの話にひどく動揺しましたが、賢一さん自身は自分が白血病
であることに気づいていました。
兄弟でHLAが適合する確率は約25%と言われていますが、長男・神山賢一さんと
長女・神山久美子さんのHLAは適合しませんでした。
この頃はまだ、公的な骨髄バンクは存在しておらず、民間の「東海骨髄バンク」が
存在するだけで、ドナーの数も少なく、移植には時間が掛かりました。
そのため、賢一さんの知人達が平成2年(1990年)7月に「神山賢一君を救う会」
を設立し、ドナー探しと募金活動を始めました。
さらに、市民団体などの協力により、「神山賢一君支援団体連絡協議会」が発足。
そんな中、名前を公表したことで、自分達も救ってほしいという声が挙がり、
全国の白血病患者からHLAのデータが送られて来ました。
そのため、神山賢一さんは他の白血病患者も救うことに決め、活動の範囲を
広げていくことにしました。
神山清子さん・賢一さん親子は、親子展を開いて、骨髄バンクの必要性を訴え、
ドナー提供を呼び掛けると、4ヶ月で約3,000人のドナー希望者が集まりました。
しかしながら、非血縁者だとHLAが適合する確率は、数万分の1とも言われていて、
神山賢一さんと適合するドナーは見つからず、しかも血液検査の費用は1件1万円
と高額だったため、「神山賢一君を救う会」は莫大な借金を抱えてしまいます。
一方で、骨髄バンクの設立を期待する声は大きくなっていて、神山賢一さんは、
全国各地の白血病患者を「救う会」の拠点となる「骨髄バンクと患者を結ぶ会」を
設立しました。
そして、その会長に就任し、骨髄バンク設立運動を本格的に開始。
神山賢一さんは、骨髄バンクの設立運動を続けながらも、陶芸にも励んでいて、
「滋賀県立陶芸の森」で開催された「世界陶芸祭」に天目茶碗を出展。
世界の陶芸を間近で見られることを神山賢一さんは楽しみにしていましたが、
信楽高原鉄道が脱線事故を起こし騒ぎになったため、翌日、世界陶芸祭は途中で
中止になってしまい、見ることが出来ませんでした。
その後、神山賢一さんの白血病は、急性白血病へと転化してしまったため、
赤十字病院に再入院することになります。
民間の「東海骨髄バンク」でもHLA適合者が見つからなかったため、叔母の
静子さんの骨髄を移植することになりました。
神山賢一さんと神山清子さんの妹で賢一さんの叔母・静子さんとは、HLAが
完全に一致まではしませんでしたが、完全に一致していなくても、骨髄移植を
すれば、白血病が治るケースがありました。
そのため、神山清子さんは妹の静子さんに頼むと、静子さんは承諾してくれた
ので、神山賢一さんは名古屋の赤十字病院に転院し、静子さんからの骨髄移植を
受け、容態は回復へと向かいました。
さらに平成3年(1991年)12月には、骨髄バンク運動が実を結び、念願だった
「骨髄移植推進財団(骨髄バンク)」が設立。
しかし、翌年の平成4年(1993年)2月。
神山賢一さんの白血病が再発。
そこで神山清子さんは献体登録をすると言い、賢一さんにも献体登録を勧め、
2人で登録することにしました。
神山清子さんが献体登録をすると言ったのは、医学に貢献したいという気持ちも
あった様ですが、献体登録すれば、賢一さんが亡くなっても死後2年間は、
そのままの状態で安置されるため、病院へ行けば、いつでも賢一さんに会えると
いう理由が大きかったようです。
神山清子さんは、賢一さんが入院前に作っていた大壺を自然釉で焼くことを
提案すると、賢一さんもそれに賛成し清子さんに大壺を託しました。
そして、神山清子さんはその大壺を自然釉で焼き、賢一さんのところへ持って
行きますが、賢一さんはその頃にはもう大壺を持つことが出来ない状態にまで
衰弱していました。
その後も着実に神山賢一さんは衰弱していきました。
そんなある日、神山賢一さんは清子さんに子守唄を歌ってほしいと言ったので、
清子さんが賢一さんを抱きながら子守唄を歌うと、その日の夜に賢一さんは
息を引き取りました。
平成4年(1993年)4月21日のことでした。
神山賢一さんの享年は31歳で、神山清子さんは56歳の時でした。
スカーレット 武志のキャストである伊藤健太郎さんについて
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(引用元:https://pbs.twimg.com/profile_images/1085082178831101953/LjTIcYw1.jpg)
生年月日 1997年6月30日(22歳)
出身地 東京都
身長 179 cm
職業 俳優
事務所 aoao
伊藤健太郎さんは、雑誌、広告を中心にkentaro名義でモデルとして活動し、
2014年のフジテレビ系ドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』で健太郎
名義で役者デビュー。
その後、日本テレビ系の『学校のカイダン』、フジテレビ系の『トランジット
ガールズ』などに出演。
FODやNetflixで配信された『グッドモーニング・コール』の、いっちゃん役で
話題になりました。
伊藤健太郎さんは、苗字をつけることを以前から考えていたところ、2018年
6月30日に21歳の誕生日を迎えたことや日本テレビ系ドラマ『今日から俺は!!』
での役名が伊藤だったことから、芸名を本名の伊藤健太郎にすることを発表。
2018年に公開された映画『コーヒーが冷めないうちに』で、第41回日本
アカデミー賞 新人俳優賞・話題賞を受賞されました。
伊藤健太郎さんは、スカーレットが朝ドラ初出演となります。
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ここまでが、スカーレットに登場する武志のモデルとそのキャストの伊藤健太郎
さんについての紹介でした。
武志の実在モデルとなる神山賢一さんは、白血病で亡くなりますが、骨髄
バンクの創設と切っても切れない間柄にあると思われます。
ただ、スカーレットでそれが描かれるかはわかりません。
信楽焼と骨髄バンクの2本立てでいくのか、骨髄バンクには焦点をあてずに
物語を進めていくのか。
大人になった伊藤健太郎さん演じる武志の登場は22週とされているので、残り
4週で骨髄バンク設立の物語は描かれないのかなとも思いますが、果たして
どうなるのでしょうか。
武志の実在モデルである神山賢一さんは、若くして亡くなるので、骨髄バンク
などのことが描かれなくても、物語の中で亡くなるシーンは描かれるのでは
ないかと予想します。
今後、どんな展開が待っているのか、そしと朝ドラ初出演となる伊藤健太郎さん
がどんな演技を見せてくれるのか、楽しみにしたいですね。
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