スカーレットモデル丸熊陶業【近江化学陶器とは岡本太郎と繋り

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第101作目となるNHKの連続テレビ小説の『スカーレット』が2019年9月30日から放送開始されます。

 

スカーレットは著名な信楽焼陶芸家の神山清子さんの半生を描いたドラマです。

 

この物語では実在する近江化学陶器をモデルにした丸熊陶業と云う企業が登場してきます。

 

今回は、実在する近江化学陶器と物語に登場する丸熊陶業について紹介します。

 

<丸熊陶業の位置づけ>

 

焼き物の里である滋賀県信楽町にある丸熊陶業は地域でも最大手の窯元です。

 

物語の主人公である川原喜美は、友達になった熊谷照子が丸熊陶業の社長の娘であったこともあり、後に丸熊陶業に就職することになるのでした。

 

<近江化学陶器について>

 

ここでは、近江化学陶器の企業概要と沿革に加えて、同社が橋渡しをした岡本太郎さんと信楽焼との出会いについて紹介します。

 

[基本企業情報]

 

創業:明治7年2月(会社設立:昭和16年2月)

 

所在地:滋賀県甲賀市信楽町勅旨2408番地

 

事業内容:オーダータイル、湿式内外装タイル、住宅用外装材、他

 

従業員数:65名

 

所属団体:全国タイル工業協会、全国タイル業協会、信楽陶器工業(協)

 

[会社沿革]

 

近江化学陶器の創業は明治7年2月。

 

以後、「信楽鍋要」「信楽糸取鍋合名会社」の社名変更をへて、昭和16年2月に近江化学陶器有限会社を設立します。

 

そして、昭和36年7月に株式会社化して近江化学陶器株式会社となり現在に至っています。

 

創業当時は、陶器製の糸取鍋などを製造していましたが、有限会社設立後は理化学陶器への主力製品を変えていきました。

 

金属が不足していた戦時中は、金属製品の代替品として陶器製のガスコンロなどを製造していた近江化学陶器。

 

しかし、一時期は陶器製の爆弾や陶器製の地雷などの製造も手掛けていました。

 

戦争が終わった昭和20年代になると、信楽は火鉢景気に沸き、会社も火鉢で大儲けすることができました。

 

しかし、家電製品の登場により火鉢の需要は徐々に落ち込むようになり、近江化学陶器も事業転換を迫られたのでした。

 

昭和30年代に入って、主力製品は火鉢から植木鉢へと移り、やがてタイルの生産を手掛けるようになります。

 

昭和30年代の中期以降は、タイル生産の割合が高まったことで、現在はタイルメーカーとなっています。

 

[岡本太郎さんと近江化学陶器と信楽焼]

 

近江化学陶器は『芸術は爆発だ‼』の名文句で有名な岡本太郎さんとの関りがあることが知られています。

 

岡本太郎さんは、昭和昭和39年の東京松坂屋の外壁工事でアドバイザーを任されており、その外壁工事にエントリィしてきたのが、当時は関東で無名に等しかった近江化学陶器だったのでした。

 

東京松坂屋は外壁をタイル装飾によりつくり上げようとしていたのです。

 

当時、近江化学陶器は戦後の火鉢バブルがはじけていました。

 

電化製品の普及により火鉢の需要が激減してしまっていたのです。

 

そして、事業の方向転換をはかるために建築用タイルの研究や製造を進めていたのです。

 

そして東京への進出を試みた近江化学陶器でしたが、無名であった事もあり苦戦していまいた。

 

そんな時に、東京松坂屋がオリンピックを睨んでの外壁工事を計画したのでした。

岡本太郎がモデルの役を演じる西川さん⇓

当時、日本陶管の顧問をしていた岡本太郎さんは、実績のある日本陶管を推していました。

 

しかし、塗る事でしか出せなかった岡本太郎さんの求める『赤』を信楽焼なら出せると、近江化学陶器の営業マンが岡本太郎に訴えます。

 

本人が気にしていた潜在的な色への不満が、信楽焼なら解決してくれることが分かった岡本太郎でした。

 

こうして、岡本太郎さんは近江化学陶器を通して、運命的な信楽焼との出会いを果たしたのでした。

 

以降、国立代々木競技場の壁画や太陽の塔の背後の『黒い太陽』などを近江化学陶器の協力を得て信楽焼で製作したのです。

 

そして、この縁で岡本太郎さんは信楽町の名誉町民に選ばれていました。

 

ちなみにスカーレットでは、岡本太郎さんをモデルにした人物として富士川ジョージが登場します。


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