NHK大河ドラマ「光る君へ」39話のネタバレあらすじ と、史実や公式情報からの予想あらすじ内容です。
光る君へ39話のネタバレあらすじ・史実・源氏物語からの予想では、
子ども入れ替えが起こり、二人の愛の結晶が皇族(敦成親王)を、まひろが乳母として育て、
さらに伊周が呪詛事件後に死亡か…
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光る君へ39話のネタバレあらすじ 大河ドラマ2024
39話ネタバレ:惟規の浮気、斎院中将との恋
1009年の正月、参議従三位の藤原正光が越前権守に任じられました。3月4日、為時は正五位下左少弁に叙任され、京に戻ってきました。久しぶりに屋敷に戻った為時は、息子の惟規が知り合った文章生の藤原貞仲の娘との間に子を授かったことを知りました。
藤原貞仲は惟規と同じ文章生で、十年余り先輩でしたが、その娘はまだ若く、惟規ともかなり年が離れた若い妻でした。しかし、惟規はその若い妻では満足できず、別に斎院中将(大斎院中将)と呼ばれる恋人がいました。
斎院中将は斎院長官、源為理の娘で、賀茂の大斎院と称された村上天皇の第十皇女選子内親王に仕えていました。斎院とは、天皇が京都の賀茂神社の祭祀に奉仕させるために派遣した皇女で、当時、大斎院の女房たちが作る文学仲間は人々の間でとても風流だと人気がありました。
大斎院は975年から50年以上も斎院を務めており、当時、まひろのいた彰子の文学仲間とはライバル関係にありました。
惟規は1007年、蔵人の頃から斎院中将のもとに夜な夜な通い、たびたび警護の者に見とがめられていましたが、斎院中将も惟規に対しては満更でもなく、家集の恋歌にも返歌をするほどの仲でした。
しかし、斎院中将はライバルの紫式部の弟ということもあり、惟規が自分の送った手紙を姉に見せているのではないかと思い、「あの有名な紫式部が姉上だなんて、変な歌でも詠もうものなら、笑い者にされそうだわ」と漏らしました。惟規は「大切な人に書いた恋文を他人に見せて、えらい目にあった人を知っている」と宣孝とまひろの喧嘩のことを話しました。
惟規はいつか姉を越える作品を作れるようになりたいと思い、まひろの元に相談に訪れましたが、ちょうどこの頃、再び彰子の2人目の懐妊が発覚し、宮廷は慌ただしく、まひろと惟規はゆっくり話をすることができませんでした。
39話ネタバレ:惟規の死
ある日、朝廷から為時に越後守を任せたいという連絡があり、為時はそれを快く引き受けました。当時、為時は60歳を超えており、惟規は姉のまひろが父為時と一緒に越前に行ってから源氏物語を書き上げて有明になったことを思い出し、自分も姉のようになりたいと思い、為時と一緒に越後へ向かう決断をしました。そして惟規は、恋人の斎院中将との別れを決め、「わかきひとを、おやのたのめければ、わづらふころ」という和歌を送りました。
しかし、1011年3月、越後国へ出発する前日、惟規は高熱を出し寝込んでしまいます。そのため、父為時と介護のために妻も同行し、3人で越後を目指すことになりました。まひろから状況を聞いた道長は、馬と籠、警備の者を用意し、3人を見送りました。
為時らは、琵琶湖を経由して若狭湾に出て、日本海沿岸を船で北上するルートで進んでいきましたが、道中、惟規の病状が悪化し、しばらく動けない状態に陥ってしまいました。
なんとか越後に向かう船に乗せてもらい、船から越後の港が見えてきましたが、惟規は「姉君、母上が迎えに来てくれた」と言い残し、その船の中で37歳という若さでこの世を去りました。
彰子の出産と道長の威信
1009年11月25日、彰子は安産で第三皇子・敦良親王(後朱雀天皇)を生みました。これにより道長の威信はさらに大きく強まりました。そして道長はついに…
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