スカーレット あらすじネタバレ全体15週・16週から25週26週 後半を実在モデルよりお送りする内容になってます。
9月30日(月)から放送が開始される朝ドラ『スカーレット』。
その物語はどの様なものになるのでしょうか。
前回はスカーレットのヒロイン・川原喜美子の実在モデルである神山清子さんの
人生から朝ドラ『スカーレット』のあらすじ全体の前半1週から13週14週ネタバレをしました。
そこで今回は、スカーレットのモデルより、あらすじ全体の後半15週16週から25週26週にあたる内容をネタバレをしていきたいと思います。
スカーレットのモデルよりあらすじ全体後半15週16週から25週26週ネタバレ
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神山清子さんは、陶芸の師匠がいませんでしたが、離婚後は様々な陶芸家が
尋ねてきて、助言をくれるようになりました。
そして、神山清子さんは夫の易久さんと離婚後まもなく、古い寸越窯跡で
釉薬などを使っていない古代の自然釉で、何とも表現できない美しい色を
している陶器の破片を見つけました。
清子さんはその自然釉に魅了され、自然釉の研究に没頭し始めましたが、
失敗の連続で全く綺麗な色は出ませんでした。
そこで神山清子さんは、次に色が出なければ、しばらく休業することを決め、
通常は3日間のところを、自棄になって16日間も寸越窯を炊き続けました。
すると、それが功を奏し、釉薬などを使わずに色を出す自然釉に成功。
土の中の石が溶け出して、焼き物にかかった灰と反応し、宝石の様な色に変化
したのです。
こうして、神山清子さんは、自然釉による古代の信楽焼を再現に成功し、その
作品を「信楽自然釉」と名付けました。
さらに、古代の信楽焼を再現したことなどがNHKなどの番組で取り上げられ、
神山清子さんの名は全国へと広まっていきました。
一方、神山清子さんの長男である神山賢一さんは、幼い頃から信楽焼を手伝って
いたこともあり、自然と信楽焼の道を目指し、信楽工業高校の窯業科を卒業。
その後は、滋賀県立信楽窯業試験場で、ロクロや釉薬について学び、3年の修行
を経て、母の神山清子さんの元に戻り、天目茶碗の制作に励みながら、陶芸家
としての道を歩み始めました。
しかし、平成2年(1990年)2月16日。
神山賢一さんは29歳の誕生日を迎えたものの、その4日後である2月20日に倒れ、
病院に運ばれました。
検査の結果、神山賢一さんは慢性骨髄性白血病と診断されました。
これは、神山清子さんが54歳の時のことでした。
それから2日後に賢一さんは、大津市の赤十字病院に転院し、赤血球の形(HLA)
が合ったドナーから骨髄を移植するしか治療法はなく、ドナーが見つからなければ、
神山賢一さんの余命は2年半だという宣告を医師から受けました。
清子さんは医師からの話にひどく動揺しましたが、賢一さん自身は自分が白血病
であることに気づいていました。
兄弟でHLAが適合する確率は約25%と言われていますが、長男・神山賢一さんと
長女・神山久美子さんのHLAは適合しませんでした。
この頃はまだ、公的な骨髄バンクは存在しておらず、民間の「東海骨髄バンク」が
存在するだけで、ドナーの数も少なく、移植には時間が掛かりました。
そのため、賢一さんの知人の方達が平成2年(1990年)7月に「神山賢一君を救う会」
を設立し、ドナー探しと募金活動を始めました。
さらに、市民団体などの協力により、「神山賢一君支援団体連絡協議会」が発足。
その後、神山清子さん・賢一さん親子は、親子展を開いて、骨髄バンクの
必要性を訴え、ドナー提供を呼び掛けると、4ヶ月で約3,000人のドナー希望者が
集まりました。
しかしながら、非血縁者だとHLAが適合する確率は、数万分の1とも言われ、
神山賢一さんと適合するドナーは見つからず、しかも血液検査の費用は1件1万円
と高額だったため、「神山賢一君を救う会」は莫大な借金を抱えてしまいます。
神山清子さんは、全国各地の白血病患者に借金返済を協力してほしかった様ですが、
借金は自分達が抱えることに決め、「神山賢一君を救う会」は莫大な借金を抱え
解散へと追い込まれてしまいました。
一方で、骨髄バンクの設立を期待する声は大きくなっていて、神山賢一さんは、
全国各地の白血病患者を「救う会」の拠点となる「骨髄バンクと患者を結ぶ会」を
設立し、その会長に就任し、骨髄バンク設立運動を本格的に開始。
神山賢一さんは、骨髄バンクの設立運動を続けながらも、陶芸にも励んでいて、
「滋賀県立陶芸の森」で開催された「世界陶芸祭」に天目茶碗を出展しました。
その後、神山賢一さんの白血病は、急性白血病へと転化してしまったため、
赤十字病院に再入院することになり、民間の「東海骨髄バンク」でもHLA適合者が
見つからなかったため、叔母の静子さんの骨髄を移植することになりました。
その頃、神山清子さんは牛尼瑞子さんという弟子をとり、その協力を得て、
陶芸を続けながらも病院に通い、さらに骨髄バンクの必要性を訴える活動を
続けていました。
神山賢一さんと静子さんとは、HLAが完全に一致まではしませんでしたが、
完全に一致していなくても、骨髄移植をすれば、白血病が治るケースがありました。
そのため、神山清子さんは妹の静子さんに頼むと、静子さんは承諾してくれた
ので、神山賢一さんは名古屋の赤十字病院に転院し、静子さんからの骨髄移植を
受け、容態は回復へと向かいました。
さらに平成3年(1991年)12月には、骨髄バンク運動が実を結び、念願だった
「骨髄移植推進財団(骨髄バンク)」が設立されました。
しかし、翌年の平成4年(1993年)2月。
神山賢一さんの白血病が再発。
神山清子さんは、賢一さんが入院前に作っていた大壺を自然釉で焼くことを
提案すると、賢一さんもそれに賛成し清子さんに大壺を託しました。
そして、神山清子さんはその大壺を自然釉で焼き、賢一さんのところへ持って
行きますが、賢一さんはその頃にはもう大壺を持つことが出来ない状態にまで
衰弱していました。
そんなある日、神山賢一さんは清子さんに子守唄を歌ってほしいと言ったので、
清子さんが賢一さんを抱きながら子守唄を歌うと、その日の夜に賢一さんは
息を引き取りました。
平成4年(1993年)4月21日のことでした。
神山賢一さんの享年は31歳で、神山清子さんは56歳の時でした。
神山賢一さんは生前、母の清子さんと一緒に献体登録をしていたため、死後は
献体に出されることになりました。
また、賢一さんは生前に清子さんに、骨髄バンクの活動は自分が死んだら、
続けなくて良いので、自分の仕事をしてと言っていた様ですが、神山清子さん
の元には、賢一さんが亡くなっても白血病患者から電話があったり、関係者が
訪ねて来たりしていました。
そのため、神山清子さんは平成6年(1994年)に、「滋賀骨髄献血の和を広げる会」
が発足して以来、陶芸の制作活動をしながら、現在も会長を務め続け、骨髄
バンク普及のために活動しています。
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ここまでが、スカーレットのモデルよりあらすじ全体の後半15週16週から25週26週ネタバレでした。
スカーレットの前半では、おそらくヒロイン・川原喜美子は、結婚していると
予想しました。
スカーレットのあらすじには、結婚後の川原喜美子の幸せなはずの生活は
思惑どおりにはいかず、大きな波乱が彼女を待ち受けていることや、どんなに
つらいことがあっても、陶芸への情熱は消えることがないこと。
そして、喜美子が自らの窯を開き、独自の信楽焼を見出していくことが公表
されています。
そのため、スカーレット後半では、喜美子は離婚を経験し、生活に苦労しそうな
感じがしますが、陶芸への道は諦めず、モデルのように自然釉による古代の
信楽焼を再現に成功すると思われます。
モデルの神山清子さんは、NHKにも出演されたようなので、その辺りは作品に
反映されるのではないでしょうか。
モデルの神山清子さんは、息子の賢一さんの病気から「骨髄移植推進財団
(骨髄バンク)」が設立されるような運動をしている人物ですが、そのことが
スカーレットの物語に描かれるかはわかりません。
スカーレットでは物語の焦点が信楽焼にあてられていることは、あらすじから
わかっていますが、骨髄バンクに関する情報は何も出ていません。
喜美子に待ち受ける大きな波乱がどんなことになるのか気になりますね。
あと数日で放送が開始される朝ドラ『スカーレット』。
戸田恵梨香さん演じる川原喜美子が、どんな人生を送っていくのか、今から
放送が待ち遠しいですね。
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